2025年12月6日 フル○○のサッカー

 岡山で初めてサッカーをやったのは、オレ達高校生だったんだよ。ある時、父は懐かしそうに話し出しました。ズボンは脱ぐんだそうだと皆がパンツ姿になった時、恥ずかしそうにもそもそしていた寮生が一人いたといいます。ついに決心したのか、彼もズボンを脱ぎ、プレー開始のホイッスルが鳴り響くとすぐに、一人だけフル○○の学友が運動場の芝の上を走りまわる姿を、皆で目撃することとなり、あ然とする者、笑いをこらえる者など、様々な対応を見せる中、父は、その学友の家が貧しく、下着すら満足に買ってもらえない境遇に気付いたそうです。フル○○も珍しいが、それにも負けずボールを持ってラグビーさながらにゴールポストに突進するものやら、何だかメチャクチャに面白い、楽しいものだったようです。

 その当時の学生の一人に、やはり貧しい苦学生がおり、後に事業を起こし大成功した時、自分のような貧しい後輩達を一人でも援助しようと、私費を投じて、自分の姓を冠した奨学基金を創ったということです。「○○のドン」と父は彼を愛称で呼んでいました。戦前にもかかわらず、高校時代に父が生徒会長として寮問題に関する全学ストライキを組織したのも、そうした体験からくるものだったのかもしれません。そのため父は退学、除籍となりはしましたが、随分後に、私の高校の同窓会名簿をパラパラめくっていた折に、「あっ、オレの名前がある」と小さく叫んだ父の喜びを隠そうともしない笑顔を目撃したことがありました。おそらく、それは、父の当時の学友の配慮かと思われ、何か暖かい気持ちになったことを今でもはっきり覚えています。

 

                   2025   12/6