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コギト/日々の思い

2024年3月のNHKスペシャル「古代史最大の謎ー邪馬台国」の問題点

  いまだにこのようなレベルなのか、3月のある晩、コーヒーブレイクとしてTVをオンすると、深夜のNHKスペシャル「古代史最大の謎ー邪馬台国」の再放送の映像が流れていました。卑弥呼などさほどの者ではないと考えている私にとっては、スルーかとも思いましたが、スペシャルの番組中には非常に優れたものもかつてはありましたから、そのまま見続けることにしたのです。見終わった後の感想は、先ほどのようなもので、放置しておこうと思いつつも、時が経つほどに、不愉快な気分が増してゆくので、この辺りで一度、この気分の源を明らかにしてみようと思い、書くことにしました。

 卑弥呼と邪馬台国と箸墓を一つながりとすることと、富雄の遺跡から出土した蛇行剣の紹介が、その番組のテーマとなっておりましたが、問題は邪馬台国畿内説と箸墓の主はヒミコの説の方で、まず、卑弥呼の死を248年とし、箸墓造営を250年と明記していた点について述べたいと思います。

 箸墓造営を240から260年の間とする説が出されたのは2009年5月30日の日本考古学協会総会のことで、あるチームが炭素14年代測定法を用いてそのような結果が得られたというものですが、炭素14法は、1998年に和訳が出版されたシェリダン・ボウエンの『年代測定』という書によって、不確実で絶対年代といえるほど信頼性の高いものではないとされている方法です。炭素14法が成立する前提は、放射性炭素同位体炭素14の濃度が過去から現在(1950年を現在と設定されてる)までは、一定でなければならないということですが、実は過去一万年の間にそれが8%も変動していることがわかり、その前提が崩れ去ってしまったわけです。その指摘から11年も経っていながら、何のためらいもなく炭素14法で出された結果を鵜呑みにして提出された「240から260年」説自体が信頼がおけないのは当然ですが、それにもかかわらず、さらにその上250年と断定されていました。

 古代に関する知識からだけでも、その年代測定には大幅なプラスマイナスがあるはずだとわかります。ヒミコや箸墓の時代は、あの縄文の海進で90mも海面が上がった後、少しずつ潮位が下がりながらも、丹波養父大屋や舞鶴などは「泥海」や「泥真名井」であったことが、大屋の御井社社伝や丹後風土記逸文に記されていますし、315年に渡来したと書紀に記されている天日槍が、城崎の円山川河口を開拓したという伝承もあることから、どんなに大変な気候変動と人々や動植物の生態系の変化があったかがうかがい知れます。

 崇神10年9月の「こののち」条に、箸墓造営記事がありますが、崇神10年は296年に該当しますから、箸墓の造営は296年以後であることがわかります。それを番組が250年と断定したのは、ヒミコの没年248年に非常に近いと思わせ、彼女の墓だと思わせたいためでしょうが、それは誠実さに欠けたふるまいです。また、ヒミコは魏志倭人伝では247年に張政が渡来したとき「以(すでに)死」として記されていることから、247年に死去したのが真相といえます。

 版築という工法についても、魏の特殊技術のような説明がありましたが、中国ではすでに殷の時代から用いられていましたし、版築といえば秦氏の特殊技術ですから、そちらの観点が有益でしょう。

 次にヒミコが若い女性で、戦国時代の野盗のような諸豪族と対面で議論をしている映像が作られていましたが、倭人伝には、彼女は王位についてから目通りした者はほとんどいなかったとありますし、また173年に新羅に使者を送った時を13歳と仮定すると、魏に内通した238年ころにはすでに65歳ほどとなります。ドラマなら許される範囲でも、真実を問う番組では不可でしょう。

 また邪馬台国畿内説をとっていましたが、魏志倭人伝には、卑弥呼の女王国=邪馬台国の北にあるという20国の記述の後に、「女王国から東に1千余里の海を渡ると別の倭人の国があり、さらにその南に侏儒国がある」とされています。書紀を一度でも読んだことのある方はすぐにお分かりになると思いますが、その侏儒国とは、神武即位前紀の戊午年12月条に「高尾張邑に土蜘蛛あり。その身短く、手足長し。侏儒(小人)に似たり」とされている大和の高尾張邑です。小人とされていますが、身=ボディが短いだけで、手足が長いのですから、長スネ彦(大人)と同じ種族の、よりスタイルのよい氏族を指してると考えられます。小さいと強調することから、少彦名(すくなひこな)の一族(子孫)とみるのが妥当と思われます。

 女王国から東に1千余里の国々の南が大和の高尾張邑だというのですから、女王国=邪馬台国が畿内の大和にあったということはありえません。邪馬台国=九州説があやしいと思わせるために、投馬(つま)国(西都原とみられる)からまっすぐ直線で「水行10日陸行1か月」と図示されていましたが、水行が直線だとどこに記されていますか。奴国から不弥国へ。そこから水行20日、とされていることについては、豊後水道を大きく湾曲させた図がよく使用されますから、水行10日も同じこと。大隅半島にそって回り込むと、隼人や霧島市あたりに上陸できます。そこから陸行1か月というと、山鹿、玉名あたりになります。玉=瑞(大漢語林)=みず=水=すい=たい(上記)=台です。つまり、山鹿と玉名のあたりが邪馬台国だと地図や地名が自ずと語っていることがわかります。それはともかくとして、卑弥呼の国の邪馬台国は畿内ではないことだけは確かです。(北の20国も私は特定しています)

 もう一つ、蛇行剣について。東南アジアのクリス剣に似ていますが、時代が異なりますから、不可でしょう。富雄丸山古墳あたりは平郡氏の地で、仁徳時代の大臣平郡木莬(つくの)宿祢がその代表者といえますが、彼は武内宿祢の子で、武内宿祢の父という「屋主忍男武雄心」(やぬしおしおたけおこころ)を解読すると大足彦となりますから、慕容氏の傑物とわかります。慕容氏のレガリア(王のしるし)は七支刀(ヒイラギノヤヒロボコ)ですが彼は倭王になっていないので、そのトーテムの蛇を模して、彼かその一族の者が蛇形の長剣を作り、祖神を祀る祭器かつ権勢を誇る象徴としたのではないかと思われます。剣に年次が記されていればそのうち誰のものかはっきりします。

 古代についての誠実な番組が極少な中での、スペシャルの歴史班の取り組みに対しては、今後の健闘を祈りたいと思います。

                     2024 4/16

 ※機種が古いのか、今までの操作と違って草稿中のものが一部アップされていたようです。2024 4/16 15:45以降のものは決定稿です。最終稿 校了済(4/19)

 

 

2024年2月

  私は、幼児言語をユーモアや皮肉以外に、大人に向けて遣うのは「媚び」の臭いがして好みませんから、敢えて豊かな意味満載の難解な言葉を用いることが多くなります。

 さて、労働者。まだ青い学生の頃のことですが、私は父に「労働者を搾取してはいけない」と言いました。当時、父は小さな会社を経営していたからです。すると、父は「その通りだ」といって、自分のギャラを社員並みにドーンと落としました。

 また、本当に人の良い父は、若造の私から見ても「口先だけのヘラヘラ」と思われる営業社員などを家に連れてきて、楽しそうに話していました。

 さらに、岡山の私達のいる実家に、夏や正月休みで帰ってくると、東京の社に戻るのを一日一日と延ばし続けるのが常でした。私たちの大喜びもつかの間、ついに父が東京に戻る時には、岡山駅のホームでその首にかじりついて、行くなと泣く足の悪い弟を引き離すのに大わらわの内にあっけなく別れの場の幕が下りました。残された私たちは、その夜は枕をぬらし、翌朝は泣きはらした顔を互いに見なかったことにして、各々の日常へと戻っていったものです。

 そんなこんなで、当然にも父は何度も会社をつぶし、おかげで私は社長令嬢になったり、失業者の娘になったり、大忙しでしたが、いやだと思ったことはありません。むしろ、「その通りだ」と言った父を、さすが私の父親と誇らしく思ったりしました。と同時に、私は自分で自分の首を絞めたかもと、一瞬ですが背筋が凍った覚えもあります。

 戦時の高校時代に生徒会長をしていた父は、学寮問題でストライキを主導したかどで退学除籍となったということですから、なかなか苦しい人生だったようですが、哲学者への夢は捨てきれなかったのか、なぜか京大の大学院でフィヒテなどを教えていたことがありましたが、父の机と椅子だけが廊下に置かれていたということです。涙ながらに、そのつらい昔話を私に話す父に、かける言葉もない私も、当時は迷いに迷う道に紛れ込んでいたのですから、似た者親子ということでしょうか。迷いは、生きるに足る人生とは何かを探しあぐねていたことに尽きます。就活など考えもしなかった・・・。何をやっても食べていける自信はあったが、生きるに足る人生も見出せないまま生きていくなど、人間として恥ずかしい、そんな思いをかかえ放浪の旅を続けたあの青い時代。九州南端の夜汽車で向かい合わせた酔っ払いの老人が何かと話しかけてくる。その酒臭い息にくらくらしていると、「ねえちゃん、酔っぱらってんのか」と面白がる。あなたのせいですと言いたいのをぐっとこらえて、関根弘の詩集に目を落とした、あの夜明け前の暗い時代。

 賃上げ、就活、裏金、ジェノサイド、暗殺、などの字が踊る今よりは、それでもずっと救いがあったのは、闘志を燃やし続ける気概が、まだ社会の底辺に残っていると実感できる時代だったからでしょう。そして今は・・・私は人々を信じます。

                   2024 2/21

 

2023年12月

  国連認定貧困国の1年が終わろうとしている。

欲望のコングロマリットがこの国を愚弄する構図も、いよいよあからさまになってきた「貴重な」一年が・・・。

 一方で、この国民の苦境を霧散させる希望の芽が、この国にもかの国にも少しづつ芽生えはじめていることを、人々が薄々気付き始めている気配のあることも事実です。

 私達は、その希望の芽を見出し得ないほど愚かであってはならないと言えましょう。

 

 アデュ―2023年

                           2023 12月27日

2023年10月

 文明の歪(いびつ)な「発展」が、侵略とジェノサイド(虐殺)の世界を生み出したということは間違いありません。高度な文明?ーいや、実は人類史上最低の野蛮な時代に突入したということです。解決は、ただ非戦、不戦のみ。殺し合いは永久に止めることと自覚し、決意することに尽きるでしょう。最も不可能そうに思われることが、実は最も現実的で容易なことを、すでに、人々も、兵士も、心の奥底ではわかり、気付き始めているのではないでしょうか。

 戦いたければ、あなたが一対一でおやりなさい。

                            2023 10/31

2023年9月

  久しぶりに、ギリヤーク尼ケ崎さんの、大道で踊る姿を映像で拝見しました。93歳。すでに自由な動きを封じられた身体を路上に投げ出し、吠え回っていらした。身体が圧迫されればされるほど、心は熱狂的に踊るもの。その例を、足が悪く、禿頭でビヤ樽体形の老爺、フラメンコの巨匠エンリケ・エル コッホの身体の束縛などものともしない没我のバイレ(踊り)や、詩人中原中也の幻の石の蝶、長谷川泰子さんの、老いてステージ端の椅子に腰をかけたまま、ただパリージョ(カスタネット)を奏しながらゆっくりと両手で円形を描く姿などに観てきました。形のない踊りの豊かさに震えながら。老い?ーそれでこそ ようやく踊り切る時がきたのです。

 ギリヤークさんとは2回共演させていただきました。どちらも小さい小屋でしたが、奇声と共に小屋を飛び出し、そこら中を走り回り、忘れずに戻っていらっしゃる。まだ駆け出しの私の支えは、熱情と狂気だけでした。間を置かず次のバイレの着替えをステージから引っ込みながらやらなければならず、ライトダウンを待っていられなかった私の背中の生白さに、うなづく方もいれば、否定的な方もいましたが、それはそれぞれの生き方、感じ方。見たくなければうつむけばいいでしょう。こちらはとっくに次のバイレの世界に踏み込んでいたのですから・・・。

 今は、なつかしい光景です。

 

※明から暗へと曲が、間を置かず変わる構成の中、楽屋、舞台裏に戻る暇のない踊り手の着替えの動きを、薄明りの中で、その背中に集約させた演出の勝利であったと、今でも私は考えています。さらに、未生の者の持つ、時分の花、狂気じみた熱量への信頼かとも。

 

                        2023 9/21

2023年7月

 海洋生物学者のレイチェル・カーソンさんが「沈黙の春ー生と死の妙薬」を上梓されたのは1962年。それから約60余年経った今、この星、地球上に聞こえるのは、大きく数を減らした動植物たちのかすかな悲鳴であり、見えるのは、すでに声も上げられず身体中に火傷を負いながら山火事の中を逃げ惑うコアラに象徴されるような、ただ生きるということさえ難しくなった絶望的な姿だといってももはや過言ではないでしょう。私たちの青い星は、煉獄、あるいはもうすでに火焔地獄に一歩踏み込んでしまったのかもしれません。

 自然科学者でも何でもない、ただの人である私にも、実感としてのその予兆は20数年前から醜悪で露骨な様相をもって示されていました。あの美しい薔薇の咲き誇る5月もなければ、真夜中の闇い部屋に窓辺からこうこうと差し込んでくる秋の月の輝きもない。間の抜けた、「例年以上」、「何十年に一度」等の常套的な形容詞で繰り返される異様な反季節的な「夏」と「冬」。あの味わい深い四季は何処に消えたのか。

 変だな、今年だけかという思いは裏切られ続けて、今に至ってしまった。

 その間、「沈黙の春」の作者は少数の理解者を除いて、多くの批判を浴び続けてきましたが、真実を語る者とは残念ながらおおよそそいうものだということは古代ギリシャの時代から変わるものではありません。真実は大体の場合、苦く、そう言わざるをえないほど、人間はさほど聡明でもなく、逆に聡明な人を無自覚な愚者が愚者であるゆえに馬鹿にする、そうした不完全な存在である上に、良心や文化の領域は、「経済」、といっても、珍奇なマネー、資本への飽くことのない欲望に一元化された「経済」によって抹消される時代に入って久しいわけですから。

 しかし、人はやはり、パンのみにて生きるのではなく、マネーだけによって幸せになるのでもないことは、少し周りを見渡せば、容易に理解されることでしょう。マネー、資本に埋もれて、虫も鳥も木も花も、そして、人っ子一人いない炎熱地獄を一人、あるいは数人で生き延びたとしても、その先に何があるというのか。

真実は必ずしも、いつかは現れるというわけではありませんが、現実の私たちの生きる土台ー生活環境が苛烈な事態に立ち至ったことによってようやく、レイチェル・カーソンさんの主張の正当性の一端が自ずと明らかになったということは、無自覚のツケとして絶望的に皮肉なことといえるかもしれません。

 

                       2023 7/31

 

 

2023年5月

 5月雑感

 原爆資料館にさえ、今まで一度も私的に訪れたことのない人たちが、各国のトップと称して「平和」や「核」を「論じて」いたとは・・・今更ながら本当に驚きです。「正体見たり・・・」のブラックがかったユーモアの類か。ともかく、じいっと見つめ、深く考察し、決して忘れないと心に誓うのは、いつもの私の流儀です。

                        2023 5/30

2023年4月

 スペインの田舎町へレスには、春先に何度か訪れたことがあるのですが、昼はフラメンコのフンダシオン(センター)の3Fの図書館で資料と格闘し、夜はフェスティバルを駆け巡る毎日の中、ある夕方、突然、暇ができたので衝動的に、ジプシー(フラメンコの世界では尊敬語)の祖父と孫の馬車に飛び乗った時のことです。しまった!値段交渉をするのを忘れていた、と思った時には、すでに馬車はカラカラと石畳の上を駆け抜けていました。馴染のバルの前を、ワインレッドのストールをなびかせてその孫に笑いかけている私を目ざとく見つけた店主が走り出てきて「ルシアー」と叫ぶのも尻目に「リカルドー、後で行くよー」と手を振り、振り切った後、馬車はシェリー酒造街を通り抜け、ジプシー街の只中にいました。狭い路地のせいで、後ろから車の警笛の音がすると、さすがにジプシーの「悪童」(後で、パージョ=スペイン人から教え諭されました)。鋭い目つきで銃を構え狙い撃ちする格好で、振り向き、バーンと撃つマネをしました。道いっぱいに通る観光馬車を後ろから警笛でせかせるパージョもどうかと思いながらも、そうか、これがジプシーの男の子なのかと、妙に感動したりしながら、アルカ―サル(王城)の終点に着いた時には、日が暮れかかっていました。やはり、少しボラレましたが、覚悟の上ですから、ブエナ・スエルテ(グッド・ラック)といって男児をハグし、馬車を降りながら、馬をさわっていいか尋ねると祖父はうなずいたので、その葦毛馬の腹あたりに頬を押し付け、両手で抱くとゴワゴワとした冬毛が肌にあたり、ああ、これがジプシーの老馬なのかと妙に感じ入ったりしました。

 あの子は、今頃、もういっぱしのワルに育っているのか、あるいは、ギター弾きにでもなっているのか。

 先日、沖縄の方から、カルメン・アマジャ(フラメンコの女王といわれた)の生誕百年記念のシンポジウムをやるので、話を聞かせてくださいという電話がありました。

 路上で、裸足で踊っていたカルメンの踊りの秀逸さに皆が惚れ込み、アメリカ公演で大成功を収めはしましたが、晩年は、アントニオ・ガディスの映画(血の婚礼)の終末近くに、風の吹く丘で、趣のある姿で踊る場面に登場した後、踊ることができなくなった途端に、この世を去ったということですが、腎臓を患い、踊ることでようやく、生き長らえていたのを知るジプシー達は、その映画を観るたびに、アイケ・ペーナ(かわいそうに)とうめき、涙を流したと古老が言っていたのを聞いたことがあります。カルメンのブレリアのレコードを聴いては、猛然と稽古に出かけていく習慣の私が、その話をすると、私の師のマノレーテ(ジプシー族の王子と称されていましたが、時に路上で飲んだくれたりもしていました)が、カルメンのブレリアの振りを覚えている者がいるから習えと、一人の古老を連れてきてくださったことも、今は懐かしい思い出です。

 あいにく、古代史と考古学のアポリアと降るようなインスピレーションの只中にいた私は、その方とお話する機会が作れませんでしたが、沖縄では、フラメンキン(フラメンコ愛好家)の方々が健在なことを知り、とてもうれしく思いました。私は、大体タイミングが悪い星の下にいるようで、お話できなかったことを申し訳なく思っております。どうか、そのシンポジウムが成功しますよう、心から、お祈りいたしております。

                      2023  4/23

2023年3月

  雨のように降り注ぐインスピレーションに夢中になって、次々と古代史上の諸問題を解明しているうちに、気付けばもう3月も半ばに入ろうとしていました。この時期にふと思い出されるのは、グレさんのことです。百万回以上も生きたかと思われるほど大きくて、全身晴れやかなグレーの毛一色に包まれたその猫は、ある家前の小さなカースペースに、いつもゆったり眠っていました。生まれてから一度も醜悪な人間に出会ったことがないせいでしょう、初見の私が近づいても、穏やかに横になったままでした。その家の人によると、野良猫だけれど、年なので、冬だけは家に入れてあげているということでした。この近辺には悪い人がいないと嬉しく思わせてくれるグレさんがふっつりと姿を消したのは、あの2011年3月の東日本大震災の時でした。いつものように家に入れてもらい、春には姿を見せるはずのグレさんが、いつまで経っても現れてこない・・・。その後、グレさんのいた場所には小さな車が常駐され、ありきたりの殺伐とした風景に埋もれていきました。大地震に驚いて、部屋中を飛び回って息絶えたか、ただの寿命だったのか。

 あの震災の直後、私はB1のスタジオに一人いた時に、たて続けに2度、口の奥に金属の味と臭いを感じました。その翌年の1月末には、それまで休講したこともない私が、はじめて4、5日レッスンを中止しました。私は、軽く被爆したのかもしれないという思いが一瞬ですが頭の中を駆け巡りました。

 あれから12年、まだ避難中の方々もいる。それでも「60年に延長」などと平気で言えるとは・・・・・・。

                        2023  3/9

 

 

 

2023年1月(2)

  忘れもしません。2019年の正月2日の早朝に、めずらしく外を歩いていた時のことです。

東の空に、えも言われぬ美しい光景が広がっていました。細い月が、キラリと光る星のイヤリングを付けていたのです。朝ぼらけのバラ色と、水のようなブルーが寄り添う空に見守られながら。何かトキメクことがありそうな、希望の年の幕開けを告げる予兆かと思われるものでした。その光景が忘れられず、翌年も翌々年も同じ時刻に空を見上げましたが、残念なことに少しずつ西に移る月と星は、色もデザインも崩れ色あせてゆきました。まるでパンデミックを憂うかのように。そして、戦争がやってきました。

 人が人を殺し続ける愚かな世界を前にして思われるのは、唯一の戦争による被爆国である日本という国が、非戦を誓う平和国家だったはずだということです。それによって世界中から尊敬される良心的な国家のはずなのに。良心的であることは、さほど難しいことではありません。今から1300年ほど昔の古代に生きた、大政治家で平和外交の鬼でもあった藤原不比等が、大唐を相手にできたことですから。にもかかわらず、60年?ミサイルにミサイルで対抗?それは単なる殺戮、殺し合い。たった今、目の当たりにしている光景の無限回路のその果てに、国や世界が平和に存続できるとでも思っているとしたら「あわれ、月は狂っている」※ーあまりに貧相な発想、背筋の凍るような、そんな世界には、もはや子孫など存在しないでしょう。そして今、主張しいる人も明日は退き、やがて土中の人ですから、子孫に責任を負うと気色ばんでみても、「想定外」の結末についての責任を問われることも、負うこともない。実際には責任など負わない人々が、そのストーリーでは存在しえない「子孫」を人質に、臆面もなくお為ごかしを。

妄想は死に至る病です。

 

※ガルシア・ロルカ「月よ 月よのロマンセ」

                           2023 1/22

 

2023年1月

                                    

 私には粋な友人がおり、毎年グレゴリウス暦で賀状が送られてきます。化石言葉でいえば、イカス(いかす)ギャルソン。サルトルの「存在と無」の講読の授業では、大テーブルに向かい合って腰かけていることもあり、そんな時、ふと顔を上げると、目を原書に落として一心不乱に読み込んでいるその風貌が一瞬ジャン・ポール・ベルモンドかと見まがうこともあり、少々ウフーンでした。                                                             

 哲学的な傾向はそれぞれで、しかもあまり議論したわけでもありませんが、フランス国費留学の帰りの折には、ムスタキの「永続革命」(一般には市販されていないはずです)のドーナツ盤をさりげない風情でホイと渡されて、知っていたのかと心が少し暖まった覚えがあります。「グレゴリウス暦」を目にするたびに、葉をすっかり落としたイチョウ並木の光景と共に、あの「ポール」の面影が絵のように蘇ってきます。

 私の友人たちは、数は少ないが、無限に豊かだと勝手に思えることが、そこはかとなく楽しく感じられます。

                                            2023  1/4

2022年12月

  ウシュバテソーロくん

 今日、午後の4:00、突然楽しい気分になった。 あの子が勝ったからだ。東京大賞典のウシュバテソーロくん。もちろんオルフェーヴルさまの子。あの末脚がうれしい。来年は、ブリーダーズカップに挑戦。マルシュロレーヌお姉さんのように。

 何気にジョルジュ・ドンのボレロを踊ってしまった。

 

                             2022 12/29

2022年11月

  11月は私の誕生月で、自他ともに認める射手座の申し子のような気性の私ですから、大いに気に入っているのですが、たった一日だけを祝う決まりはないと家人が言い出して、11月中祝うことになったおかげで、毎日が花、まさに有頂天の日々でした。とはいえ、これでもかと襲ってくる社会現象などにいちいち怒り狂うことも忘れはしませんでしたが。

 るしるーあそぼうニャー。まさか、ねず公のプレゼント?いや、鳴いているから大丈夫のようです。

 ラビ ぼくは5月生まれ。ラッキースカイラークと夏子の子でしょ。

 ルシ それは大地君よ。でもラビさんはアビシニアネコさんのようだから、ママはひょっとしてエジ

          プトのネフェルティティだったかも。

 ラビ ふーん。するとツタンカーメンの子孫か。ちょっと粋かもニャ。

 ルシ でも古代のエジプトでは、たくさん人を殺した王が偉大ということだそうだから、どうかな?

 ラビ 自由がネコの性分、人間の事情に興味はないニャーーニャ、で、ニャー、るしるの祖先は何ニ

    ャー?

 ルシ 子供のころ、父がね、我が家の家系には森蘭丸や大鳥圭介がいるといっていたニャ、うっ?

 ラビ 織田信長の小姓と幕末の函館五稜郭で戦った榎本武揚軍の砲兵隊長ニャおーん。

 ルシ よく知っているね。さすがファウストキャット。それでね。それを聞いた時、私はなんてつま

    らない、地味な家系なんだろうとがっかりした。フランス革命の闘士かギリシャの英雄だった 

    らどんなに面白かったことかと。マサゲタイの女王トミュリスでもいいのに・・・。

 ラビ もしそうなら、血筋は絶えて、るしるには巡り合えなかったから、地味めでよかったんだ。祖

    先は祖先。ボクラハ今を生き尽くすことニャンニャッ。

 ラビネコさんはさすがに賢明。そして、家人はそこはかとなく愉快。こうして誕生日月間の11月は

 終了したのでした。

                        2022 11/30ー12/2 

2022年10月

  音楽を見る

 風もないのに、木の葉が踊っている・・・。変だなと思い、よく目を凝らすと、モズ君が、ハナミズキの赤い実を狂ったようについばんでおりました。それは10月の半ば頃のことでしたが、やがて、地面に落ちた実も、草陰に逃げ込んだ実もきれいに食べ尽くして、モズ君が姿を消すと同時に、青々としていた葉が朱に染まり始めました。一枚一枚が朱と緑の美しい濃淡模様を織りなし、競い合いながら風にそよいでいる様は、まるで音楽そのもののように思われるのが不思議です。楽しい子犬のワルツならぬ、楽しい木の葉のワルツ、あるいはトッカータとフーガか。ハナミズキの下の満天星も、小さな葉先がポツポツと少し暗い紅に変じ始めておりますから、早晩、紅蓮の炎の立つ庭となるに違いありません。

 小さな庭でさえ、十分すぎるほど紅葉の喜びを与えてくれるものですから、人ごみの中を野山に出かける気には、到底なりません。紅葉狩りという風情のある言葉は、人も数少なく、自然が圧倒的だった時代特有のもので、紅葉を人がおおいつくし、煙にまみれて物を食らう、不気味な「祭り」とでも言えそうな哀れな時代には、死語と化していると言っても遠からずと思われます。好き好きではありましょうが。

 思い返せば、子供の頃から私は、祭りは嫌いではないが、その只中にいると空々しい寂寥感を覚え、一人静かに祭りの群れから立ち去るのが常でした。遠くで聞こえる祭囃子を背に振り返ると、そこにあるのは、町並みだけが同じの、人っ子一人いない、しんと静まり返った別の町でした。家々や街灯の灯りによってかえって黒々と、ただ存在するしかない、妖しの町。恐いような面白いような、何かに期待するような、奇妙な感覚に襲われながら辿り着くのは、何事も変わりないごく日常のわが家で、なあんだと少々がっかりしながらも、ホッと一息をつくー。

 祭りの賑やかさよりも、あの黒々とした、ハッと息を呑むような世界の突出感の方が私にはずっと楽しいものでした。以来、私は、祭りの時は「遥か群衆を離れて」いることにしています。

                            2022 10/31

 

2022年9月

  花もまた語る

 前代未聞ともいうべきでしょうか。庭のくちなしの花が、9月の半ばから、再び咲き始めました。まるで、6月末の炎熱によって、早々に花の命を断たれたことを、サラリと乗り越えるかのように。季節はずれの、しかも二度咲きというありえないこのくちなしの開花が、一方で、当然にも地球環境の大変動のレベルがさらに一歩深まったことを示唆するようでもありますが、もう一方で、「時を踏み越えよ。そのためにいったん時を巻き戻せ」といっているようにも思われます。「自分のような小さな花でさえできた。大丈夫」と。

 時を巻き戻すとは、振り返り総括せよ、という意味です。つまり、徹底的な総括の時代に突入するということです。それなしには、一歩も先に進めないということは、少しものを考えることのできる人なら誰でもわかることです。少なくとも忘れないということ。忘却は罪への加担に他なりません。あの「歴史は繰り返す」という諺も、単に現象の説明ということにとどまらず、忘却によって愚行を繰り返す人間の安直さをいましめる意味を秘めているものとも考えられます。倦むことのない、ひるむことのない徹底的な総括が求められているのは、まさに今、そして、これからです。楚々として、しかも強靭に、9月に狂い咲く、くちなしの花の言語なき「言葉」が、これであろうかと思われます。こういう意味で、花も また語るといえましょう。

                         2022     9/30

2022年8月

  生者は死者に煩わされるべからず。小さな出版社の主として、最期を迎えた父は、おそらくこの信条によるものと思われますが、「俺の骨は、そこらに打ち捨てておいてくれ」と言い残しました。それはそれで、また一興かとも思いはしましたが、残された私たちは、東金に向かう途中の山を切り開いた、空が思いっきり広い墓地に小さな墓をたて、生前父が好んで口にしていた美学者の深田康算さんの絶筆である「アビオス ビオス ビオス アビオトス(生きていれば死にたくなり 死にかけると生きたくなる)」をギリシャ語で墓石に刻んでもらいました。「こんな狭い所にいないわね。きっと風のように自由に、ユーラシア大陸を飛び回っているはず」。私たちはウフフと笑いながら、父の好奇心たっぷりの子供のような、あの愛すべき瞳を思い出していました。

 それにしても、死装束姿の父の顔の素晴らしかったこと。翁の能面か、一遍上人か。人の本質は、その死相に現われるものかと思われる瞬間でした。葬儀などは、残された生者のカテゴリーに過ぎない。まして、法的根拠も覚束ない、国民の半数以上が異を唱える形式なんて。『死霊』の埴谷雄高さんなら、こう言うでしょうー「ぷふい」。

 

                        2022  8/31

2022年7月

 「罰が当たるぞ」。捨て台詞を残して、男は門を叩き壊すかのような荒々しさで我が家から立ち去りました。その男はあるカルトの信者で、どうしても入信しないと突っぱねた我が家に対する幼稚な腹いせの振舞でした。私がまだ子供のころのことです。

 当時の我が家は、カルトに狙われやすい様相を呈していました。アクシデントで両足を骨折した私の弟は、治療にあたった某高名な外科医によって、さらに両足首のアキレス腱を切断されるという不幸にみまわれてしまったのでした。「切断した方がよく歩けるようになるんですよ」、医師は両親にこう言ったそうです。当然、弟の足は再起不能となり、その後、父は仕事の都合で東京暮らしとなってしまいましたから、我が家は、足の不自由な男児と女子供だけの、入り込みやすい家庭と侮られたのでしょう。母は悔し涙を流していました。

 そんなことも忘れ去ったある日、中野の唯一の繁華街を所用で通り過ぎようとしていた私に、神についてのアンケートと称して、若い女がしつこく付きまとってきたことがありました。それが、十数年前に世間を騒がせた某カルトの信者だということは明らかでした。健脚で、風のように歩く私に、いつまでも追いすがってくるので、ここらで勝負だと腹を決めた私は、突然立ち止まり、くるりと向き直って、彼女の目を見据え、「私が神です」と言い放ちました。えっと絶句、混乱状態の彼女が呆然と立ちすくんでいるのを尻目に、何事もなかったかのようにリズミカルにその場を立ち去りました。あいにく、神の存在の問題については、私は中1の時に決着をつけていました。神は、あると思う者にとっては存在し、いないと思う者にとっては存在しない、そうした存在であり、要するに、好み、嗜好の問題に過ぎないのだと。この考えが閃いたときはうれしくて、くるりと回って、その拍子にこけて倒れ込んでしまいましたが、その姿があまりにおかしくてアハハと笑ってしまったのを鮮明に憶えています。

 「鰯の頭も信心から」ーこれはおそらく、魚神ズーンを崇拝するエフタルの風習と推察されますが、全知全能の神と未熟な自分との差異を自覚し、少しでも克服し近づこうとする、つまり、大いなるものに対する謙虚さと誠実さを失わず、自分をも豊かに生かしつつ、他者の存在も傷つけることなく大切に生かすということであれば、宗教の存在意義もあるかと思われます、しかし、カルトは嫌いです。

                                      2022 7/31

 

2022年6月

 ムッシュ・ユーモレスクと禅師アナンフェール

 「犬君(いぬき)が雀を逃しつる」、源氏物語若紫をここまで読まれた古文の教師 ムッシュ・ユーモレスクは、ふっと間を置いたのち、「語弊があるかもしれませんが」と切り出されました。このフレーズは、ムッシュが本論から脱線する合図のようなもので、教室には、顔を上げた生徒たちの好奇心の気のようなものが、ビシッ、バシッと乱れ走りました。脱線話しだー今日は何かな。息をつめてムッシュの口元を見つめる生徒たち。でも申し分けないが私には、ムッシュが何を話されるか直観的にわかってしまっていたので、間髪を入れず、アハッと笑い声をあげると、「しまった、知られてしまったか」という風な照れた表情を浮かべながらも、「もうたまらん」といわんばかりに、ムッシュも「アハッ」と笑い出し、やがておもむろに「犬、雀、鶴がポイント・・・ではありません」とやられたので、皆もおくればせながらドッと湧き、教室中が笑いに包まれることとなりました。どうしていつもムッシュと私は、笑いをハモルのか。おそらく、同じ感性の持ち主だからなのだろう、と思いなすことで、私はこの件に決着をつけることにしました。

 ムッシュの頬には大きな火傷の痕跡があり、広島の原爆によるケロイドだとの噂がもっぱらでした。あるいは、そうだったかもしれませんが、それを気にされるそぶりもなく、少しはにかんだような優しい笑顔で、脱線を繰り返されるムッシュの風情とふるまいから、本当に古典がお好きなんだなということがうかがえて、私は15の春に心に決めた教師無視の「初心」を忘れ、ただの生徒となっていました。

 ムッシュとは正反対の禅師アナンフェールも、忘れ難いお一人で、必須科目の芸術の中の書道の教師でしたが、こちらは雷のような怒声を発するため、皆に怖がられておりました。

 書道といっても奔放な前衛書道でしたから、そのせいか、私の字は大丈夫かと疑われるほどの悪筆となってしまったのも、お笑い草です。沸点が低く、怒り狂う姿に恐れをなす生徒も多かった中、そんなことにひるむ私ではありませんから、「一(いち)を書け」といわれれば、空を斬るような短く鋭い「一」を要求されているのだとわかっていても、あえてチョークを横倒しにして、黒板の左から右にギーッと太い「一」を書いてみせたり、反逆の限りを尽くしましたが、不思議なことに禅師は怒声を発することなど一度もありませんでした。それどころか、面壁の禅のやり方を教えて下さったり、崑崙山や胡蝶の夢の話なども面白そうに、お話になったり、警句と戯れたりと、厭きることのない時間を共に過ごさせていただきました。そんな中、禅師は私の目をじっとみながら「先輩敬うべし」といわれた時には、敬えない先輩でもかと、一瞬ムカッときましたが、一呼吸置いたあとに「されど後生畏るべし」と加えられたので、割り合い信頼できる教師だと理解できました。

 しかし、今でもわからないのは、あの一言です。「君は何をやっても成功するだろう。だが一つだけ心配なことがある。男だ。男だけには気をつけえよ(方言)」・・・えーっ。先生、私は、まだギルバート・ブライスに夢中の高校生ですよ。そんなこといっていいんですか。少しとまどいはしましたが、意外にありきたりな占い師か預言者のような言葉は、帰途の右手を流れる旭川の豊かな水に流して家路につきました。私は、「結婚などしなくてよい。精一杯好きに生きろ」と言い続けた父の言葉の方が好みでしたから。それでも、世俗に生きる禅師の、私に対する精一杯の思いやりの善意の一言だったことは確かですから、感謝はしております。

 先日、岡山の高校の同級生の一人から、当時をなつかしむ長い電話をもらいました。テニスラケットを胸にかかえた制服姿の彼女を思い出しながら、話すうちに忘れ難い教師の方々についても、一言記しておきたい気持ちになって、筆をとりました。ところで、「男は」?・・・カラスの勝手でしょ。

                     2022 6/30

 

2022年5月

  無自覚な永遠の運行の中にあった眠れる宇宙が、人間を生み出した時、宇宙は人間の大脳を媒介にして、はじめて自己と対面し、自己の姿をまじまじと見つめ、自覚する段階へと飛躍した。ー 梯(かけはし)明秀さんの書の中に、こうした、いわば、宇宙社会観的なイデアを見出した時、哲学者にも天文学者にもなりたいと思っていた私は、何て面白い、愉快な発想なんだろうと、少々感動したものです。

 私の書棚に梯さんの本を見つけた父が、目を輝かせながらも、なぜか潤ませて「ていめいしゅう は」と、知人であった昔のことを語りかけてきたのは、そのような時でした。父は、人の名を必ず音読みする人で、以来幾度となく「ていめいしゅう は」を繰り返す中で、梯さんのご子息が鉄道自殺で亡くなられたこと、そのご子息のバラバラになった遺体をご覧になって、梯さんの心が砕け散ってしまったことを大粒の涙を流しながら私に語ってくれました。

 人間の大脳を媒介として、「自己認識段階に到った宇宙」にとって、今の人間はどう映っているのでしょうか。確かに、科学技術は類をみない進歩をとげて、一気に地球上を焼け野原にしてしまうほどの強力な道具さえ作り出してしまった人間は、相も変わらず大小の侵略戦争を繰り返して止むことがありません。最高水準の科学技術力をもって、人間は人間を最も効率的に殺し続けている。宇宙は、このような愚かな人間存在を生み出したことを、恥じ、苦悶の叫びをあげ、身悶えしているかもしれない。そんなことがふと思われる、この星の不幸な状況に、言葉を失いそうになってしまう昨今です。

                    

                                                                                     2022 5/29

2022年4月

  Bella  Ciao (ベラ チャオ)

古い歌が、なぜか、ふと、口をついて出てきました。

 

  ある朝 目覚めて

  さらば さらば恋人よ

  目覚めて われは見ぬ

  攻め入る敵を

  ・・・・・・

  戦いに果てなば

  さらば さらば 恋人よ

  戦いに果てなば

  埋めて かの山に

  ・・・・・・

 

                    さらば 恋人よ

                  (イタリア パルチザンの唄)

 

 古い時代の唄とばかり思っていましたが、そうではなく、現在進行形の唄だったのだと気付かされる昨今です。

 人間は、退行しているのでしょうか。もしかすると。

                            2022 4/7

 

 

 

2022年2月

 

          Adieu la guerre !   ー pour toujours

                          (アデュー ラ ゲール  プール トゥ―ジュール )   

                                                                                             2022 2/27

2022年1月

  受験に思うー岡山、15歳の春

 東京発の「ひかり」は、大きな左カーブを描いて、やがて岡山駅のホームに滑り込んで行きます。その頃に、左の車窓に見える小山が操山で、私の中学校は、その北側の裾野にあり、西の裾野には私の高校が少し様変わりした姿ではありますが、今も変わらず佇んでいます。その辺りは、かつては、町が田園に溶け込んで行く刃境(はざかい)、いわばマージナルな地で、住宅と稲田や小川が混在する、私にとっては何かワクワクするような、約束の地の風情を醸し出していました。そのようなことをひっくるめて、私は「ロケーション」と呼んでおり、それこそが私の学校選びの必要十分条件でした。

 中学校の東と北側は稲田、南は小山ですから、季節は、色彩と音のシンフォニーさながらに、青々とサワサワと風になびいていたと思えば、黄金色に輝きわたり、早春にはレンゲ色に染まる稲田や、優しい春風のささやきに、小雨の中の蛙たちの満足げな歌声、霜に震えながらも、凛と立つ小さな紫色の野菊の花などとともに、めくるめくように移り変わって行きました。同窓生に聞くと、荒れる問題校だったということですが、私に害をなす悪童など一人もおらず、二階の非常階段から、刈り取ったばかりの稲の山の上に次々と飛び降りて、「お前らは、立っとれ!」と、怒り心頭煮え立ったやかん頭のじィじ先生に叱られ、教室の奥に一列に並ばされてうつむく男子生徒らを、くっくっとこらえきれない笑い声をもらしながら、盗み見る女生徒たちの、のどかな日常しか記憶には残っておらず、私はといえば、丸善で原書を取り寄せるほど、ぞっこんとなった「赤毛のアン」の世界を、ただひたすらに、存分に生きておりました。もちろん知的好奇心の旺盛さから、中3の時には「資本論」なども読み始めましたが、その冒頭第一節の意味を論じるほどの段階ではなかったことも、当然と言えましょう。子供に、「下部構造」、「上部構造」の実感など、あろうはずもなかったわけですから。

 さて、高校です。入学して間もない5月に「事件」は起きました。老いた黒羊のような顔の漢文の教師から、漢詩を作ってくるよう宿題を出された私は、大喜びで、嵐の海に乗り出す海寇(かいこう)の五言絶句を作出しました。それは自分でもほれぼれするような出来でした。しかし、翌週の漢文の時間に、かの老教師が宿題の漢文を板書するよう命じたのは、残念ながら私ではなく隣席の女生徒でした。ところが彼女は宿題をやってきておらず、小さな鋭い声で「貸して!」と発して、私のノートをひったくり、何食わぬ顔で、私の漢詩を書き写し戻って来ました。当然にも、老教師はその詩をほめちぎり、「君、どこの中学の出身?」と聞きました。彼女が〇中と返答すると、「さすが〇中」とさらにほめちぎりました。その瞬間、私が憤怒の河を一気に渡ったのは言うまでもありません。〇中は、当時、県下唯一の試験のある中学で、私も小6の時、担任に受験するよう勧められたのを、先の「ロケーション」条件と、遊び友達と別れる悲しさの二点から、断った中学でした。そこに、こんな卑劣な子がいたとは。しかし、それはただの驚きに過ぎませんでした。許せなかったのは、本来は注意すべき生徒をほめちぎり、挙句の果てに「さすが〇中」と発した老教師です。何という差別意識。こんな愚劣な教師に3年間も教えられ、「東大に合格しました。ありがとうございます」というのか。即座に私は一浪することを決意しました。私一人で勉強すれば、東大など一年で入れる、そう考えた私は、三年間は教師を無視し続け、決して力を示さないことにしました。その直後の一か月間、授業中は天井を見続けたため、「エル・グレコ」とあだ名されましたが、あの天上を見上げるマドンナの絵のことか、さすがに適確だなとうなってやりすごしました。しかし、首が痛くなって、エル・グレコは止め、静かに潜行することに戦術をかえました。

 当時は、すべての教師を信じられず、心で牙をむいていましたが、元来学ぶことが好きな私は、ふと気づくと授業に夢中になっていて、「あっ、いけない」と「初心」に帰ったりもしたものです。また、ふっと授業を抜け出し、一人でベンチに腰掛けて、どこまでも広々とした運動場の桜の老木群や、奥の林に心を預けたりしたこともあります。高校の教科書はすでに中2の時に従姉が捨てるというのをもらいうけて、一人で学習していたことも、気ままな反抗的な振る舞いに拍車をかけたかもしれません。

 ともかく、3年間は、授業を無視して好きなことに力を傾けました。世界文学全集、日本文学全集の読破も楽しく、トーマス・マンの「魔の山」だけは初めの100ページにてこづったものの、101ページ目から突然魅入られたように一気に読んでしまったり、気分に任せて油絵を描き、祖父の遺品のSPレコード(実に良い音)を聴きまくり、また授業後は、人っ子一人いない操山を探索。小山ながら複雑な形状の山の谷間には水晶谷などもあり、そこから大岩群を一気に飛び駆けって下山する。まるでニンファドーラのような私は、孤独ではありましたが、平気でした。私には本という友人が何人、何冊もあったからです。本は、記されていることが真であれ、偽であれ、吟味すれば必ず偽でさえ真に転成できる。その意味で、自身をごまかすことのない、また、私のロゴスとパトスを問う誠実な友人なのですから。

 なお、私の高校は親切な体制が構築されていて、一浪も放擲せず、「補習科」という形で在校生同様の中間・期末テストや統一模試を受けられるようになっており、大学受験手続も代行してくださった点は、大いに感謝しております。生活が乱れないように、また自力学習の効果を判定するためのものとしても、その簡単すぎる授業も受講しましたが、中には夫の死後、医師になることを決意して通ってきていた女性もいて、いろいろ感動することもあったことは書き加えておきたいと思います。

 自力学習の成果は6ー7か月後には明確となり、統一模試(愛知ー鹿児島)の主要5教科では断然のトップとなって、東大合格ー入学手続きは入学式頃でいいかと岡山でのんびりしていると、東大当局から早く手続きを済ませてとせかされ、慌てて上京するなどというコミカルな失態を演じながらも、15歳の春に決意したことは一応やりとげましたが、しかし、その頃には教師への憤怒もどこかに失せてしまっていました。

 今から考えると、無駄な高校時代だったかともおもいますが、それでも、教師に頼らず、一人で学び、考えることを決め、そのためできるだけ多くの知識を得ることに努めると同時に、未熟な自分が誤謬を犯さないように、自分の考えに瞬時に、あらゆる角度から批判を加えてみるーいわば自分との論戦の習慣を獲得し、また、それでも間違えた時には総括し、どこがどう、なぜ誤ったのかを考察し、正し、乗り越えて行くというロゴスを体得したという点では、必要悪だったかとも考えております。

 とは言え、私の高校の教師の大半は、あの老教師のようなタイプではなく、中には心が通じ合った方々もいらしたことについては、この次に書いてみたいと思っています。

 

                               2022 1/30

 

2021年12月

  本を暖にして・・・

 駒場の裏門を出て、山手通りを渡り、松濤町をふらりと下れば、15分程で渋谷に出ます。その渋谷の街の喧騒とは裏腹の、静かな闇をたたえた松濤の一角に、当時は小さな公園らしき空き地がありました。凍てつくようなある冬の夜、私は友人と、そこで時も忘れて議論に熱中し、終電を逃したことに気づいても、むしろ幸いとばかりの勢いで、ますます夢中になって話に没頭することにしました。詩のこと、音楽のこと、絵画のこと、社会や経済や政治のこと・・・。話の種は尽きることなくあったのですから。

 「アパショナータ(ベートーヴェン)」は、アルゲリッチかアシュケナージか、と少しエキサイトし、ファイトしたものの、「開聞に しぶく 海の蒼(あお)さよ」と投げれば、「コヨーテは その血を塩に漬けよ」と返して、微笑みに戻る・・・、水の一滴も飲まず話し続けるうちに、粉雪が一片二片と舞い降り始めた時、心は熱いがそれでも寒さに耐え切れなくなった私は、バックから本を一冊取り出して、まずカバーを燃やし、次に裏表紙、表表紙と続けるうちに、第三章までが暖に変じてしまっていました。第四章のみは価値があると考えていたため、炎となることはありませんでしたが、後日、バラバラになったそれをホッチキスで留めて持ち歩いていると、どうにも気持ちがのらず、結局もう一冊買い直して、やっと心が収まりました。

 しらみ始めた空の下を、どうやって帰宅したのか全く記憶にないのですが、あの時の議論の楽しさだけは、今もいきいきと思い起こすことができるのです。

※開聞:鹿児島県 開聞岳

                                  2021 12/29

 

2021年11月

  寺尾の花ちゃん

 秋になると、コーヒーと梨の実の香りの中に、隻眼の忍随さん(斉藤忍随氏 ギリシャ哲学)を思い出すことについては、以前ふれた通りですが、梨については、もう一つ、どうしても忘れられない思い出があります。それは、小学校時代の、一人の貧しい同級生のことで、彼女はいつも、小さな、頭だけ大きくて、手足は枯れ木のようにやせた、無口な弟を連れていました。彼女が病欠したある日の午後、教師に頼まれて、給食に出されたコッペパンを届けに、はじめてその家を訪れた時のこと。父母にかわって、ばた屋さんをやりながら、一人でその姉弟を養っているらしい、足の悪いお祖父さんが、ありがとうと言って、私にくださったものは、小さな傷だらけの梨の実でした。ご自分で召し上がればよいのに、それとも病いに伏せっている同級生の口に運ぶか、なさればよいのに・・・。赤貧の底にある人が、それでも、他人にやさしい気遣いをなさる。その静かなたたずまいと、ふるまいと、お顔の気高さが、子供心に深く焼き付いて、今も忘れられないものとなって、時折、ふっと立ち現れてくる ー 秋とは、何とも趣き深く、捨てがたい季節だと再確認されるのは、そのような瞬間です。

 

                               2021  11/28

2021年10月

  真実は、苦い。ー 時として、あるいは大抵の場合。

 それでも、真実を見据えなければ、先はないということは、誰でも知っていることでしょう。今、主権者として、国政選挙に臨む私達の踏まえるべき最低限の立場が、このことに尽きるというのは、幼児でもわかることと言っても過言ではありません。繰り返しますが、主権は、国家ではなく、私達国民にあります。主権者である私達に課せられていることは、弱者、貧者を含めた国民の多くが望むことに従う政権に出会うまで、何度でも根気よく、コロコロと政権を変えて行くことです。それが民主主義だからなのです。それでは不安定?ーいいえ、いいのです。だからこそ議論は尽くされ、よりよい政策を実現する政府が生まれる可能性と基盤と保証が、かたちづくられる。民主主義は、不断の努力を要する次善の体制であることを忘れるべきではありません。強欲な者の、偽りの力強い一言を欲しがるのは、下僕です。

 アデュー、ライアーズ。

                                          2021  10/22

 

2021年9月

 瞬時を生きる

 実は平時でも同じだが、とりわけこのCOVID19の時代には、死は、生の真後ろに貼りつき、足下に影絵のように密みながら付き従っているといってもよい。だから、生きる今のこの瞬間が、何よりも大切なのだ。

 私達、たまゆらを生きるもの<人間も、動物も、木、花、草々も>にとって生きる時間とは、今のこの瞬間しかない。未来に夢をはせるのも楽しいかもしれないが、未来は非現実、単なる仮想、希望的観測、あるいは、行動意欲の指針にすぎない。私達は誰しもがみな、今という時間の最先端を走り続けているのである。まるで膨張しつつある宇宙の突端の縁で髪をなびかせているかのように。つまり、宇宙を造る一員として、宇宙の最先端の場と時間を走り抜けていっているのだ。

 今のこの瞬間を全力で生き抜こう。人間としては、人間としての良識に照らして、今なすべきことを考え、やり尽くそう。

 孤立を恐れることなく。

                                       2021.9.20

2021年8月

  誰一人取り残されることのない社会の実現にむけて、

 とりあえずできるささやかな試みの第一歩は、 ー自分自身で考え、取捨選択できる力を養い続けること。しかし、努力を重ねても、誤ることはありますが、その場合は、直ちに謝罪し、反省、総括して、その誤りの原因を究明した上で、乗り越え、さらによりよい豊かな次への一歩を踏み出すことー。

 高1(15)の春に、心に刻んだこのロゴスは、今も私の生きる指針の一つとしてあり続けております。

                              2021年 8月29日

2021年7月

 益川敏英さん(ノーベル物理学賞受賞) のご冥福をお祈りします。

 予想通りの「大波」の到来ーこれが現在進行中のcovid19感染急拡大についての大方の感想と思われます。緊急事態宣言発令中にもかかわらずのメガイベント オリンピックの強行。そのテーマはいつの間にかすりかえられ、不祥事がこれでもかと、わらわらとまろび出て、まるで不条理劇の様相を呈しているのも周知の通りです。何よりも、医療関係者や研究者の方々の血相の変え方が、これまでとは異なる事態の緊迫性を十分物語っているといえるでしょう。

 しかし、驚かない。平時と同様に、遺書をしのばせつつ、やるべきことをやるだけです。

 対策として、人の動きを止めることが急務と叫ばれているのも、場当たり対応しかできていない現状では一理ありますが、同時に最悪の時こそ原点に立ち戻るのが原則というのも鉄則の一つでもありましょう。タイミングよく、昨年度のコロナ対策予算35兆7804億円が本年度に繰り越されたということですから、今こそ本気で、誰でもいつでもどこでも無料という形のPCR検査を基軸として、その上で、人々が不幸に陥ることのない保障対策に基づいた、人の動きの一時停止を徹底的に実現できる体制をさっさと構築、実践していただきたいものです。

 さて、人の動き、人出、人流について、人出には「仁」の香りがし、人流には人非人の匂いがすると私は先日、記しました。それは私の歴史認識や、感性による本質的な把握として、今も譲るつもりはありませんが、その後、問題は別の意外なところにもあると気付きました。きっかけは、ある朝のTV。小池さん1回、菅さんが2回、「人流」と言われたので然もありなんと思いつつも、チャンネルチェンジ。するとあるコメンテーターが10秒間に3度「人流!」を連呼。シュールだ。思わず大笑いしてしまいました。彼がヘイトに叩かれているというので、ひそかに応援していたのですが・・・虚しかった! 心がスッと離れた後に、「人流」のもう一つの本質をはっきりと悟りました。「人流」というのは、「楽屋裏」や「研究所内」などでのみ通用する、無機質で、数量化された簡便な、血の通ってない言葉、いわば記号のようなものだということに。だから、「人流」を何回叫んでも、若い人の心に響かず、かすりもしない。瑞々しい感性の若い人を根底から揺るがせ、行動にいざなうのは、ただ血の通った言葉だけです。

 

                                  2021年7月31日

 

2021年6月

 紫陽花に降る雨。

 たった一輪だけ、毎年、冬の間中咲き続けてくれていた奇跡の薔薇の話は既述の通りですが、このけなげな薔薇娘「ロゼ」は、2018年には二輪となり、まるで母子のような姿で冬を越し、2019年5月に、突然、無数のピンクの花をつけて家人を喜ばせた後に、ついに静かに息をひきとりました。あたかも情けという心を持った人の娘のようなその存在と生命力に、家人や私はどれほど力づけられたかしれません。

 もしかすると、「ロゼ」は次の冬に、コロナの厄災がふりかかってくることを知っていたのかもしれないと、今ふと思ったりもしています。「彼女」は、自然や宇宙の摂理も知らない私達人間とは違い、摂理のままに生きて死ぬ、より優れた生命体(=生物)だったのですから。

 驚きと戸惑いの2020年が 過ぎ去った今年の5月に、いつもは少しにぎやか過ぎる桃色の花をつけていた紫陽花が、まるで「ロゼ」の子供であるかのような、何ともやさしいあさぼらけのピンク色の花に生まれ変わり、やがてブルーも加わり、いつの間にか紫の君となって、雨に濡れ咲き誇っています。何という不思議。それは、うどんこ病で息も絶え絶えだった命を救った家人に、「ロゼ」が死後に姿を変えて、愛を伝えてくれているようにも思われます。それとも、「ロゼ」と家人の一部始終を見続けた賢い紫陽花の愛の施しなのでしょうか。

 動物も植物も、問答無用の私達の友達。ーそう考えると、このジメジメした梅雨の季節も,有難く愛しいものに思われてきます。

 心あたたまる話といえば、最近、ある京大准教授の方によるオリンピック関連のコロナ感染者数に関するシミュレーションが紹介(TVニュース)された折に、政府・行政関係者の人々が用いる「人流」の代わりに、「人出」という言葉が遣われていて、ふあっとあたたかい空気が流れたような気分になりました。「人出」の向こうには「赤ひげ」が見え、「人流」の向こうには、医療も受けられず死ぬのも「ザッツザライフ」、さらには「丸太」(戦時中の人体実験後の死体の呼称)というような冷酷なイメージが浮かび上がります。だから私は「人流」という言葉が出た途端にゾッとするので、TVをオフにしています。

 言葉って、本当に恐ろしいものですね。

                                   2021 6.30

2021年5月

  「アルマゲドンでもない限り、止めない」「犠牲は払わなければならない」「経済のため」ー。

 オリンピックが、こんなにも愚かしい、恐怖の祭典となり果てていたとは。はからずもコロナが、今、私達に、その事実を教えてくれているようです。

 はっきり言いましょう。この星、この世界は平和ではない。星自体が壊れかけ、疫病が蔓延し、東日本大震災・福島原発事故も、実は続行中という状況をあざ笑うかのように、かの地では丸腰の人々や子供たちまでが、国軍を装った武装集団に殺され続け、異常な権力を糾弾するジャーナリストは理不尽に捕縛され、死の危機に瀕しています。国連安保理、WHOなどが、何の役にも立たない情けない姿を露呈していることも、私達の不幸に追い打ちをかけているようです。この上、さらにアルマゲドンが必要なのでしょうか。

 多くの人々が死に絶えた焦土で、わずかに生き残った狂気の人々が、経済を回し、平和の祭典に酔いしれる、そんなブラックコミックのような未来を、「あなた方」はお望みなのですか。一体「あなた方」は「何もの」?

 

ラビ猫  るしるー、悲しいよー。ソダシちゃんが負けちゃったのにや。

空犬と大地犬  ラーゴムくんも負けちゃったワーン。

ルシア   残念ねー。でもソダシちゃんの心は本当にソダシ(純粋ーサンスクリット語)だとわかっ        

      てよかったでしょ。勝ちを一つ譲ってあげたのよ。お友達に。

ラビ   ソダったのニャー。

空    この次は、このボクがソダシちゃんに乗っちゃうわん。白毛の仲間として何としてもワンワ 

     ンワーン。

大地   ラーゴム君は、パパのまねをしたんだワーン ン。

ルシア  ん、オルフェーヴル様のことね。聞きましょう。

大地   オルフェって、気ままな狂気のお馬さんのようにいわれるでしょ。でも、違うニャン。

ラビ   ニャン?

大地   ワン、感性豊かで、自由が大好きな無頼のシャイホース。凱旋門賞では2回とも、女性に勝

     を譲ったしー。

ラビ   ニャーんニャンニャンニャー  ジャパンカップだかにも女の子に譲ったニャー、自分にぶ 

     つかってきた「貴婦人」という名の荒くれ牝馬ニャー。

ルシア  なかなかできることじゃないわね。すっごくやさしい男子だったのよ。下手な人間より高潔

     ね。

ラビ   ニャン ソダシ  僕らはソダシ ソダシは僕ら ニャーン。

大地、空  ワン、キャン、ペロ、ボ、ボ、ボッテングリ(突厥語ー地神)。

 

                                  2021 5/30

 

2021年4月

 花水木と満天星(ドウダンツツジ)が、レモンの実と競い合うかのように咲き誇る、今は春。出口の見えない戦場の春。コロナ感染拡大の第三次は、大半の国民の自主的な防御の努力で、何とか沈静化しつつあったかにみえましたが、根本的な検査等の対策を欠いているために、結局、言葉遊びによる印象操作としか思われないグダグダの策を為政者らがひねり回しているうちに、ついに恐れていた変異株付きの、第四次のステージに突入してしまったということは、周知の通りです。

 しかし、若年層が突破口を開いてしまったですって?早春の行事、コンパ等が原因ですって? では聞きましょう。いくつの大学の、どの学部の、何人の学生、卒業生による、どのような形態の会食が原因となっているのでしょうか。その点については、他称「専門家」の意見や、マスコミの報道によっては、データや、その科学的分析が何一つ明らかにされていないのが実情でしょう。午後2:00のTVカメラに映るのは、若者ばかりといってみても何の根拠にもなりません。「大人」は何らかの形で、会社や自宅で働いていて、営業職など以外に街角をふらつくはずはない時間帯ですから。しかも、職場内感染はないとでもいうのでしょうか。夜の街を際限なく騒ぎ回るのも、若者たちだけではないでしょうし、TVカメラが捉える、そうした若者の数も、全体に比べれば、雀の涙ほどのものでしょう。大半の若者は、悲しいほど律儀に、為すべきこと、マスク、手洗い、自粛を続けているため、TVカメラに映ることなどあり得ないのです。多くの若者は、未熟な場合があったとしても、「大人」と同じような倫理観をもって、心が折れるような苦しみを抱えながら、片隅で、けなげに戦っていることは、千葉大の食料無料配布所に並ぶ学生の姿をみても明らかでしょう。

 ちなみに、昨今、多人数での送別会、会食が次々と明らかにされているのは、身を正し、範を示すべき大小の政治家や行政官らだというのも皮肉な話です。

 第三次のピーク時に、夜酩酊して、ポリスに補導されるところをTVカメラに捉えられた数人の若者の一人は、呂律の回らない言葉でこう話していました。ー「ぼ、ぼ くは、今日、会社をクビになりました。…ぼ、ぼくたちは・・・し、しあわせじゃ ないんです」

 彼は、今どうしているのでしょうか・・・・・・・・

 

                                 2021  4/8

 

 

2021年1月

〇あっという間に過ぎようとしている1月を惜しんで

 思えば1月は、私にとって別れの季節なのかもしれません。父、義母、大ラビ、そして梅原猛氏(哲学者、歴史学者)など。梅原氏が逝かれた2019年1月12日、私は、拙著「火焔の王」の最終校正の最中にありました。間に合わなかった!どれほど読んでいただきたかったことか。どのような文章も、筆者のパトス(感性)、ロゴス(理性)だけでなく、品性までも読み取れる、その意味で恐ろしいものですが、氏の文には、機智があり、悲しいまでの情愛がありました。まるで父のような・・・。拙著における私の推論は、自分でも驚くほど、「既成」の歴史「解釈」とはかけ離れたものとなっていますが、梅原氏なら、自説とは違っても全否定なさらず、受け取めてくださるはずという確信が、私の心の片隅にありましたので、その氏の死の知らせは、本当に耐え難いものでした。バイレ(舞踊)に狂い、興じている内に、本当にお届けしたかったものが後回しになった報いなのか。

 そういえば、「フラメンコ、この愛しきこころ」を上梓した時も、あのユーモアと機知に富んだ舞踊評論家であった市川雅氏の、まさに死の直後でした。何ということか。物事に熱中しすぎて我を忘れ、いつもいつも私は、大切な人々とすれ違っているのかと今さら悔やんでみても、もはや後の祭りです。

 天に召された梅原氏、津田左右吉氏、市川雅氏、蘆原英了氏、そして古代史が趣味とおっしゃっていた岸井成格氏などに天国向けの宅急便でもあれば、遅ればせながら頼みたいのですが、残念です。

 

                                  2021 1/31

 


〇 青ざめた馬の幻影がみえる時代に

 

ラビ猫  ルシルー 遊ぼうニャー。

ルシア  おやおや、甘えん坊に変身かな。ラビはいいね、コロナとは無縁で・・・

ラビ猫  今のところはね。でも僕だって、うがいと手洗い欠かしたことがニャイ。マスクはちょっと 

     ニャ、マスク気にしているとネズミが逃げちゃうニャ、でも、人間てかわいそーニャン、

         暖かくて、カッコいい、オシャレな毛もないし、自然のセツリも身についてニャイ。

ルシア  ラビさん達は、考える必要もなく、自然の法則に従って、自然そのものを生きているから、

     いいね。人間はね、毛のない裸ん坊のみっともない姿を、妙な服やらでようやく隠し保護し

     て、感性と理性を死に物狂いで鍛え上げ、フル回転しながら、何とか自然を生きようとして

     いる。その作業を忘れたら、アッという間に自然の敵対者として、ハジキ飛ばされてしまう

     もの。

ラビ猫  ニャるホドネー、ペロ、僕だって考えてるニャ。どこでどうすればネズコーをスパンと捕ま

     えられるか、どうすればルシルに、腹ペコとか大好きとか上手く伝えられるか。ネコも大変

     ニャンだけど、ネコがいいのは、ネズミを貯金できないこと。富の蓄積がニャイからマネー

     とは無縁で、永遠の貧困層ニャンだけど、富裕層もまったく居ニャーイ。自由、平等、博愛

     がネコの基本ニャンだ。

ルシア  グレイト、ムイビエン、マニフィック ラビっサン!民主主義の基本理念そのままよ。人間

     の場合は、地球上で50%強しか民主主義国家は存在せず、50%弱が何らかの形の全体主

     義ということだから、愕然! 話が通じないはずよ。ラビさんたちは話が通じないことない

     でしょ?

ラビ猫  何処に行ってもツーカー、ツーぎゃー、どこに行っても、猫は猫である。人間は所変われば

     別の生き物、人間ではなくなるのか?厄介な生き物だニャー。

ルシア  でもコロナが拍車をかけたのか、これまでの世界への反省意識がある程度高まって、アメ

     リカの悪夢が終わったり、ヨーロッパのいくつかの銀行が、軍事(核兵器)に関わる物資の

     生産部門を持つ企業には融資をしないと公表するなど、この星で人々が幸せに生きられる世

     界づくりへの取り組みも、ポツポツ始まっているようよ。

ラビ猫  捨てたものでもないニャー。

ルシア  あまりにもよくできた変幻自在の静かな「兵器」のようなコロナに比べれば、おどろおど

     ろしい大型兵器が、逆に何世紀も前の間の抜けた遺物に見えて、つい吹き出しそうになる。

ラビ猫  ニャン、ソダシ。早くアソボ―ニャン。

 

 治療薬ができて初めて収束するであろうパンデミックコロナと戦う戦場に、新年の挨拶は無粋と考

 え、控えることにしました。

 生きましょう、今年もまた、ひるむことなく。

 

※コロナ:covid19

 

                              2021     1/24

 

 

 

 

 

2020年12月

〇 クリスマス・イブの夜遅くに

 思いもかけない崇神の真の姿と、没年にハッと気付いてしまいました。それでよいのだ。すべての他の私の推論に合致する。

 もしや、これが、今年のサンタの私へのプレゼントだったのでしょうか。ペンと考察を止めると、遠ざかって行くソリの鈴の音がわずかに聴こえたような気がしました。

 コロナと戦う戦場と化したこの都会という荒野で・・・。

 しかも、コロナが与えてくれた自由時間のおかげで。

 何と、禍福は糾える縄の如しとはこのことでしょうか。

 

                                            2020 12/25

2020年11月

〇  秋になると、思い出されることがあります。隻眼の忍随(斉藤忍随氏)さんと梨の実のことです。忍随さんは、当時東大文学部哲学科教授(ギリシャ哲学)で、柔和な中に、ニヒルな鋭い影が見え隠れする風情のある人物でしたが、そのギリシャ哲学の講義の面白さといったら、一体何にたとえればよいかわからないくらいで、忍随さんの講義ノートは何冊にもなるものでした。大学1年の春に、なぜ親しくなったか思い出せない、同クラスではない女子学生の友人と二人でプラトンの「饗宴」の読書会を始めた私ですから、それは当然のことですが、とりわけ「エフェソの暗き人、エンペドクレース」にはクラクラするものがありました。地水火風が、フィリア(愛)とネイコス(憎しみ)の作用によって、永劫回帰する・・・。紫色の衣をひるがえして「私は神になる」と言い、エトナ火山の火口に飛び込んだその哲人の思いは測りしれませんが。

 そう、梨です。お宅に伺った私に、「食べなさい」と言って出して下さった皿の上には、大きな梨の実が一つごろんと乗っかっており、そばにナイフが添えてありました。えっ自分で剥くのですかと少し吹き出しそうになったことを覚えています。

 静かな、まだ真理が尊ばれる時代の秋の思い出です。

 

                                     2020 11/22

2020年10月

〇  TVドラマのミステリー部門に限っていえば、「警察署長ジェッシィ・ストーン」(米)、「孤高の警部ジョージ・ジェントリー」(英)、「刑事フォイル」(英)などが、今のところマイドラマのベストスリーといえるもので、他にも「シャーロック」(英)、「フロスト」(英)なども捨てがたい味があり、また犬の演技でホッとさせる「レックス」(オーストリア)の、米映画「ハリーとトント」の最後のシーンを模したかのような、波打ち際での死のシーンや、「バーナビー」(英)の「森の聖者」のラスト・シーンは何度も繰り返し見たい例といえます。

 脚本も、情景も、演者の演技も上質なそれらの中(素朴な「レックス」は別として)で、特にジェッシィ・ストーンなどに見入ってしまうのは、思い通りに行かない人生の苦しみに打ちひしがれながらも、辛うじて踏みとどまり、真正面から己と向き合おうとするために、さらに懊悩する、そうした人間の「立ち向かう」姿と、そこからにじみ出てくる人間らしい良心の震えとでもいうようなものが、観る者の心を揺さぶるからでしょう。

 ジェッシィが保護し、自宅に引き取るのも、ある残酷な殺人事件の被害者に飼われ、その死の現場に臨在していた犬で、一人と一匹は、互いの心の傷のせいか、打ち解けることにも無器用なまま、いつしか心の奥底で理解し合って行く、その無言の時の描写が切なく、さらにまた、そのアイリッシュ・レトリーバーの何ともいえない廃れた表情が、その作品の本質を見事に表象しているように思われます。黙した演技のもつ圧倒的な迫力とでもいうようなもの。ーこの作品が、他に類をみないのは、その点にあるのかもしれません。

付:ラビ(猫)とのささやかな会話

L  ラビさん、ジェッシィは「政治家」などにも無言で立ち向かっていくね。

ラビ 当然ニャー。

L 「国民のため」と言う人がいるけど、その「国民」の中に、自分はおにぎり一つで、幼い娘に

   一個数円の卵を食べさせるために必死で働くシングルマザーなど含まれているかしら?

ラビ うーん、雑なザル概念はゴマカシがきくからニャ。能天気な人は、自分のことと勘違いし

   てんじゃない。前をそのまま引き継ぐといっているんだから、1%の金持ちしか頭にないニャ。

L  「自助」も民間企業が奮闘するべきという意味だと人材派遣の経済学者が説明していたが、

   それなら「自」とは大中小の資本家のことで、内部留保さえ分配されない者、非正規の失業者

   予備軍、失業者、子供、老人など、その他の多くの「民」は含まれないことになり、自己責

   任論より悪いかもね。そうした人たちは「共助」って、エーッ!老々介護に、認々介護か!

   それって、共倒れのことじゃない。

ラビ 僕の大好きな学問の自由にまで手を出し始めたニャ。

L  時代錯誤の権謀術数論に心酔すると公言する少し恥ずかしい人は、民主主義も、人間の自由

   の本質も、いやそれ以前の古い格言「良薬は口に苦し」ということさえ知らないのかもしれ

   ないわね。

ラビ 早晩、その真意は、ほころびの中から顔を現わしてくるニャン。

 

                            2020   10/4

 

2020年8月

〇  愚か者の言葉は、いつも人々の間を引き裂き続ける。 詩経・小雅

 狂った時代の狂った夏。シベリアの永久凍土がついに溶け出した様をTVが映し出した時、まず私の頭に浮かんだのは、封印された過去の未知のウィルスも解き放たれたかもしれないということでした。開けてはならないパンドラの箱のふたが今、開かれてしまった・・・。それは恐ろしい画像でした。

 猫なら、見なかったことにして、短いその一生をやり過ごそうとするかもしれませんが、私は人間であり、また、事は人類の不始末、愚かさの結果ですから、ここは覚悟するしかありません。人間(じんかん)を裂く暇など、すでに残っていないのです。最悪の事態まで射程に入れて、「コギト」(私は考える)しつつ、腹をくくって「スム」(在る)。生きる密やかな決意の確認です。

 ここで静かに「コギト」を終えようとした時、私の元気なラビ猫さんが一言あると言い出しました。猫語を解読するとこうなります。ー権力闘争などやっている場合か、時代遅れだ、ニャーッ。

 

                                           2020  8/30

2020年7月

〇  「お母さんに会いたい、お母さんに会いたい」と叫びながら、三輪車をこいで我が家の前を通り過ぎて行く、小さな男児を見かけたと、家人が私に告げたのは、あの強制自粛の最中のことでした。父親と思われる男性が、黙したまま、肩を落として、その子供の後を、とぼとぼと歩き去ったとも。父親には、母親の代わりは務まらないのだろうとつぶやく家人の顔には、名状しがたい表情が浮かんでいました。その子供の母親は、医療従事者か、あるいは、何らかの理由で地方に出かけた折に、突然自粛を強要され、東京に戻ることができなくなった方だったのでしょう。以来、その光景は、あたかも私の実体験であったかのように、幾度となく私の想念に現われ、そのつど胸がえぐられるような痛みとなって、私に襲いかかってくるようになりました。

 一方、熊本では、7月の大雨後の大洪水で、教科書がすべて流されたために、「勉強したいのに勉強することができない」と歎く、ある中学生の言葉が紹介されておりました。それは、「夏休みの短縮」などとは次元の異なる深刻な話です。

 名もない人々の、こうした痛ましいリアルな声が、すでに平穏な日常など過去のものとなり、享楽の時は過ぎ去ったのだと告げているかのようです。救うべきは、まずこうした子供たちや、一人では生きて行くことのできない人々でしょう。そのために何をなすべきか。「Go to」と命令形で、主権者である国民に告知する方たちには、主権者の一人である私は、命令形で返したいと思います。片隅でうめく、名もなき人々の生の声を聞け、そして、まず彼らを救えと。大洪水によって全滅させられた村や町の、旅館や商店、農業従事者等の家族のすべてが、まだ救われてはおりません。コロナ対策に真剣に取り組めば取り組むほど、窮地に追い込まれて行く医療従事者についても事態は同じでしょう。

 享楽文化の時代はすでに去ったのです。「赤毛のアン」の好敵手であるレイチェル・リンド夫人なら、こう皮肉ることでしょう、あの享楽の時代のことを。ー「今の人々ときたら、どこにでもほっつき歩く。まるでヨブ記の悪魔のようだよ」と。

 

                                         2020 7/23

2020年6月

 〇 「民」という字について、辞書では「片目を針で刺された奴隷や被支配民族の形」と説明されています(大漢語林)が、想い起こされるのは、スキタイの習俗で、ヘロドトスによると、スキタイは他民族等を殺戮した後に、捕捉した人々の両目を刀で突き刺して奴隷とし、労働に従事させていたということですから、これが歴史的ルーツと思われます。

 より古いシュメールの古拙文字には、耳と目と口を蔽われた人の頭の絵文字がありますが、それは「秘密」を表すもので、目を突き刺された人頭の絵文字はないようです。当然にもシュメールは、戦いで得た捕虜を奴隷として、インドとの交易に利用して富を得ていましたから、目をつぶすことなどはしなかったはずです。

 このように、歴史を少しひもとけば、文字やことばの、今は忘れ去られてしまった本質が、突然、ヌッと姿を現します。民とは、刀で目をつぶされた奴隷のこと。「民度」にひそむ空恐ろしい響きの根源です。

 そして今、民の目が直面するのは刀の痛みではなく、心地よいが実はありもしない幻影で蔽い隠された虚の時代の厄災です。新種のモダンな奴隷の境涯になり果てないための武器は、誰もが知っている簡単な「あのこと」。嘘を看破り、真実を見抜く涼やかな目を持つことです。私はそう考えます。

 

                                    2020  6/10

2020年4月

〇  「おそい!」と、湯バアバなら怒鳴るでしょう。すでに1月末の段階でやるべきであったことを、4月になってようやく「スピード感をもって」やるなどというのは、現実の真の姿が見えない者の二律背反の言動というしかありません。危機意識の高い一部の国民は、とっくに1月末の段階でオーバーシュートを疑っていたはずです。その時期に手を打っていれば、今頃は収束期に近づいていたでしょうに。そもそも「スピード感をもって」などという、間の抜けた、日本人なら使うはずのない言葉を連呼する人々というのは、一体何者なのでしょうか。その言葉は、不実か無能の赤ずきんのようなものに思われます。

 新自由主義という最終段階に到った資本主義が、何でもあり、故に何もないという思想に基づいて、階級闘争も無化した勝利の果てに、最後は腐り果てて自滅していく様を、今私はリアルタイムで見ているのだと実感しています。ライバルの息の根を止めた罪は、度し難い重圧となって、今度は自己自身に襲いかかってきているのです。世界は新たな段階(体制)へと、命がけで変容しなければならないと、新型コロナウィルスは私達に教えているように、私には思われるのです。

                                               2020 4/9 

2020年3月

〇 残念ながら私は、郷土史といった類のものには、あまり興味を引かれません。好き嫌いの次元の話ですから、その愛好家はいて当然で、それについて頓着はしないし、おおいに結構なことと思いますが、私は人間存在と人間の歴史や人間についての考え方の歴史が好きなせいか、無意識のうちにたぐり寄せられるように引き寄せられてしまうのは、決まって人間の生の姿がむき出しとなる、胸が締め付けられるような切迫した政治史、権力闘争史で、しかも資料がほとんどなく、あったとしても改ざん、隠蔽、メタファー等がほどこされた、つまり文字表記がおよそ信用できない「正史」の類しかない時代(古代)のそれで、さらにまだ民衆一般は存在せず、部衆や奴婢がいた時代のことですから、たまったものではありません。深い闇を抱え込んだ古代史の謎が、アリスを誘う不思議の国のように私の前に立ち現れ、私を幻惑するとでも言うべきでしょうか。

 「なぜ」と一言呟いた途端に、漆黒の闇の旅がいやおうなく始まってしまいます。封印された真実を白日の下に引きずり出すべく、手探りで闇に分け入り、また生い繁る虚偽の密林の草木をかき分けてはいずり回る、何とも呪わしく孤独な探求の旅。いわば裸足で、素手で地をはい回るような探求の旅とでもいうようなもの。

 その意味では、私の古代史研究は、資料豊富な中世以降の歴史学や、地をはう考古学や、靴を履いた文化人類学や民俗学などとはかなり異質な世界ではありますが、もちろんそれらの学の成果も、真であり有意義であれば躊躇なく参考とさせていただくのは、いつものことではあります。たとえ、民俗学者の某氏が遠野の農民を呼びつけ、一段高い位置で、その語る民話を聴取していた折に、農民が卑猥な話に入ると、「そんなものはよい」と高飛車に下がらせたというエピソードを知人から聞いた時の釈然としない感覚が、私の心の底に今なお残っているとはいえ。

 諸学は、実は真理を求める族の共闘という意義をもつものであって、決して、一つの学が他の学を攻撃、排撃するようなことがあってはならないと私は考えております。排撃などという狭量な心では、真理を求める道には踏み込めないはずです。排撃する時間があるのなら、そのすべてを自己の狙い定めた研究領域に投入する方がよい。人の一生は露の間なのですから。

 なお、ガブくん(M・ガブリエル)が自然科学を好みつつ嫌う(正確には、自然科学主義を嫌っているだけのことですが)のは、ホーキングが物理学の昨今のわずかな進歩をもって、哲学は無用のものとなったなどと浅薄な攻撃を仕掛けたのが一因と思われますが、ホーキングはそんなことを言うべきではなかった。彼は、若い哲学者を怒らせたという以前に、己の不見識を自己暴露してしまい、またそのことで、物理学者全般を貶めてしまったのです。哲理のない科学者の行きつく先は、マッドサイエンティストであることは自明といえましょう。歴史学者もまた然りです。

                                     

                                        2020  3/22

 

 

2020年2月

〇「火焔の王」読者から寄せられたご質問 (2)  ※(1)は「インフォメーション」に掲載中。

 古墳(王陵)の内部調査が可能となれば、諸王の確定が進むのではないか、ということについて。

 現在封じられている古墳(王陵)の発掘調査が、古代史研究にある程度役に立つことは、疑いえない事実であり、考古学の成果は、古代史研究の大きな一助となるといえますが、古墳こそがすべてを語る確証物となりうるかという点は少々疑問です。なぜなら、人類が登場する以前の太古の地層などとは異なり、古墳(王陵)は人間が造ったものにすぎず、しかも政治、権力に強く関係する建造物ですから、虚偽の面、つまりダークな側面も合わせ持つのは当然と思われるからです。つまり、古墳は、美と戯れる芸術家や、真理、真実を尊ぶ研究者が造った類のものではなく、大小問わず存在していた権力者の鎮魂、賞賛、あるいは隠蔽、封殺などをも目的として造られた恣意性の極めて強い性格を必然的にもつものとして、冷静に、クリティカルに捉えられるべきものに他なりません。

 要するに、古墳(王陵)もまた、偽証することがあるという点を忘れてはならないということです。

 「70年研究したけれど、まだわからない。だから古墳は面白い」と、大塚初重氏(明治大学名誉教授)は記されていますが、その言葉は実に示唆的と思われます。

 歴史というものは、常に二度と触れることのできない事実という名の推定の世界以外の何ものでもない。そして、言うまでもなく、歴史学としての古代史研究には、緻密な考察と豊かな想像力、そして大胆で鋭い洞察力が欠かせないことも付け加えておきましょう。

                                                      2020 2/20

 

 

〇おそらく、後世の歴史には「人災」と記されるはずです。猛威を振るう新型コロナウィルス性肺炎に倒れた方々を悼むとともに、闘っている最中の方々の無事を心から祈りつつ、手洗いとマスクと自己免疫力にしか活路を見出せない多くの人々が、この現実にあきれつつも、怯えることなく、淡々と、あるいは力強く、乗り越えて行かれることを切に願ってやみません。

 生きて、お会いしましょう。 

                                                      2020  2/16

2020年1月

 〇いまのところ、両立しない相対性理論と量子力学を平和共存させることの出来る唯一の理論は、弦理論だそうで、それは9次元世界が妥当だということですが、9次元なんて、もう面白すぎて狂い死にしそうなほどワクワクしませんか。もしかすると私達と私達の宇宙は言われているほど巨大なわけではなく、その中にいるから広大で無限と思っているだけで、実は、小さなマッチ箱やゼリービーンズのようなものにすぎず、私達も本当は小さな小さな、吹けば飛ぶような虫やチリ以下の存在かもしれませんね。でも一つだけ確かなことは、魂(精神、こころ)だけは無限大の可能性をもっているということです。いずれにしても、宇宙の外側から、私達の宇宙や私達自身を見ることはできないわけですから、大きかろうが小さかろうが、広大な夢を見つつ、ほがらかに真実を看破しながら生き抜くというのもまた一興といえるのではないでしょうか。

※精神とは、「意味との出会い」です。 

 

 あけまして、おめでとうございます。今年もひるまず生き抜きたいものです。

                             2020  1/1

2019年12月

 〇犯すなかれ、偽証するなかれ、旧約のモーセへの戒めには、当然この言葉も含まれています。伊藤詩織さんは、心に刃をもって、本物のジャーナリストへの道を歩めばよいだけのことです。大丈夫!

                                              2019 12/21

2019年11月

〇ことは簡単です。私たちはたんなるヒトではない。人間です。人間を人間たらしめているものは、自らの存在を問い、探求し続ける自由な精神であり、マルクス・ガブリエルは、それを意味にたいする感覚・感性としていますが、その人間の精神という実に豊かな心のスペクトルが、歴史を経てついに見出した「人間としての良識」こそ、人間の生きる実践的規範でありましょう。

 いわゆる常識は、時とともに変わりゆく一時の固定観念にすぎないものですから、そうした常識の呪縛から自らを解き放ち、そして良識こそが、時代を超えた普遍的な実践の原理であると見定めるならば、その時はじめて、私たちの生き方はいとも簡単に決まります。良識を保ち、ただそれに従って、自由に存分に生きればよいだけのことですから。

 「盗むなかれ、殺すなかれ、偽証するなかれ」という旧約のモーセへの戒も、「行け、彼の智慧の岸へ(ガテー、ガテー、パーラガテ―)」と説く般若の言も、実は同じ本質の異なる表現に他ならないことは明らかでしょう。

 

                                          2019  11/24

 

〇小学2年生の頃だったと思います。教師が黒板に地図を貼り、ある地点を指して、方位を答えるように言った時、私はひどく困惑しました。もし、軸が、黒板の外や天井に置かれるならば、北や南と答えることはできませんから、先生は何を言っているのだろうかといぶかってしまったのです。また、三角形の内角の和が180度と教えられた時も、デコボコの石や波打っている紙に書かれた三角形の場合は、違うのではないかと思い、さらに詩のワンフレーズの解釈も百万通りの答えがあるのでは・・・と疑いました。極めつけは、、小1の頃、牧場で真横から見た馬の脚が2本に見えたので、2本足の馬の絵を描いたら、笑われてしまったことです。見えた通りに描いて、なぜ笑われるのでしょう。それなら目と口が逆方向に描かれたピカソの絵はなぜ笑われないのでしょうか。

 このように、小さい頃から先生や教科書が教えることに疑問を持つことが多かった私は、学校は好きだけれど、わけのわからないところだと悩み困った末に、「そうだ、ゲームと同じで、ルールと考えればいいんだ。そのルールが正しいかどうかは大きくなってから確かめよう」と思いなすことにしたのです。

 また、子供にとって先生というのは、人生の助言者の面もありはしますが、優位に立つ権力者のような存在の面もありますから、無能、あるいは理不尽と思える優位者には従わないプライドと心構えを持つ子供であった私は、たまに「先生」に徹底抗戦することもありましたが、根本的には弱者に寄り添う気質ですから、「ゲーテの『神曲』だぞ」などとのたまう定年間際のジージ先生には、そっと微笑みながら「ダンテ」とノートに書きつける度量もあったことは付け加えておきたいと思います。

 「答えは百万通りある場合もある」。「採点する先生もただの先に生まれた人に過ぎないかもしれない」。記述式を大学入試共通テストに導入するかどうかが取沙汰されている時に、ふと思い出されたのが、幼い頃の私の、こうした素朴な疑念でした。

 因みに、私は、家庭教師をつけてもらったこともなく、塾や予備校には通ったこともありません。

 

                                        2019 11/14

 

〇久しぶりに胸が高鳴りました。といっても恋の話ではなく、ガブくん(マルクス・ガブリエル 哲学者)とシェリングのことです。

 ガブくんが、「新実在論」のインスピレーションを、シェリングの「人間的自由の本質」から得ていることを知り、私の学生時代の師の一人故渡邊二郎さん(当時、東大文学部哲学科助教授、哲学科、仏文などでは教授の方たちを「さん」づけで呼ぶ習慣がありました)の講義ノートを引っ張り出した私の目に飛び込んできたのは、Ungrundすなわち「無底」という和訳でした。二郎さんはあの当時から、本質を理解されていたのですね。

 教壇上を飛び回り、板書を叩きながら講義される熱血二郎さんの小柄なその姿は、哲学の面白さそのもののようでしたが、当時の私は美的汎神論好きが昂じて、シェリング研究に生涯を捧げるべく、本郷3丁目の福本書店に、シェリング全集全11巻(原書)を注文していた最中で、それもかなり高価でそれを手に入れるためにバイトで苦労した覚えがあります。しかし、「存在論」であったとは・・・・。

 生来、心が向くことにしか没入できない私は、やがて、友人たちを見事に裏切り、フラメンコの世界などに突入し、あれこれの異種の人生を歩むわけですが、どこに引っ越そうとも健気に私についてきたのが、大学時代の哲学講義ノートとシェリング全集などで、いまさらドイツ花文字など読めないかもという私の気持ちも知らずに、それらは今もなお私の書棚に花を添えております。

 

                                                       2019 11/9

 

〇古代の人々の心に寄り添わない歴史って本当につまらないですね。色彩も、音色も、匂いもない。

 14世紀のモンゴル人でさえ、「蒼(あお)き狼と蒼白き(あおじろき)雌鹿の子孫」という誇りを持ち続けていました。彼らの心の奥底にみえるのは、ユーラシア大陸を西から東へと移動する祖先シュメールのサカ・スキタイとの邂逅の旅の幻影であったでしょう。

 メルヘンが真実の歴史の言葉に置き換えられる時、ほの暗い2次元の世界から、色鮮やかな、シンフォニーにも似た心踊る音に充ちあふれた、芳しい香料やパンを焼き、米を炊く匂いの織り成す、だからこそ怨念にのたうち、鮮血飛び散る生身の人間の息遣いが聞こえる4次元世界の古代史が、ようやく立ち現れてくるのです。

 私達はシュメールの末裔、長い旅のはて、ユーラシア大陸の東端にたどりついた。宇木汲田(北九州)は「シュメール人」という意味のシュメール語です。シュメールやサカ・スキタイ、サルマタイ、マサゲタイなどが、あたかも西方史の主役のように考えられているのは、ただ単に彼らの東方への旅の解明がなされなかっただけのことです。問題は、ただ解明すればいいだけのことです。

 シュメール、マサゲタイ、サルマタイなどの東方への旅の詳細については、拙著「火焔の王」をお読みください。

                                                                                                 2019. 11/3

2019年10月

 〇富山から「スバラシイです。」という便りが届いたのは、9月末のことでした。便りの主は、富山在住の芸術家の女性で、妙な縁をきっかけとして、友人となった方ですが、私の「火焔の王」という書を富山の書店ではどうしても見つけられないので、送って欲しいということから、急きょ、配達が最速と思われるアマゾンに、知人を通じて(というのも、私はアマゾン利用者ではないものですから)配達を依頼したという経緯があったわけです。2,3日で届けられた「火焔の王」を彼女よりも先にお読みになったのは、工芸美術家の夫君の方で、上記のように感想を述べられた後に、「貴女はスバラシイ友人をお持ちでよかったですね。」とおっしゃったそうです。

 100年後くらいには一般に理解されるようになればと覚悟していた私には驚きの言葉でした。しかも、かつての越の一角である富山の方の評価ですからなおさらです。フラメンコに関する書を上梓した時と同様に、人々は私の予想以上に聡明なのだと信じられる瞬間でもありました。

                                                10/28

 

 〇今なお終わりの見えない、激甚台風災害に苦しめられ続けている被災者の皆様のことを思うと、本当に胸が痛みます。できるだけ早い、再生復興の日の訪れを、心から願っております。

 

                                                            10/24

2019年9月

 

 古代史の真実を探る旅は非常に楽しくもあり、厳しいものもありましたが、この界隈に巣くう怪しげな者というのは他のジャンルよりひときわ多いというのもこの領域の特徴でもあります。それは知を必要としない、寄せ付けないカルト的盲信そのものが蠢いているからと言えます。そのようなものには一切興味もなく、関わりたいとも思わないので一線を画しますが、今回上梓した「火焔の王」は、歴史をクリティカルにとらえることで新たに浮かび上がってくるものがどのようなものなのかを具体的に提示しています。

 世のため、人のため、そして何よりも自分のために書き上げたのですから、今はもう思い残すことはありません。すべて出版されれば全8巻になる原稿は、秘かに私の宝といたします。しかし、「正当な」質問についてはいつでもお答えするつもりでいます。

 

                                                                                                            9/15

2019年8月

 

現在、天文学の本を読み終え、以前読んだ哲学書(M・ガブリエルなど)を読み返しています。

  

                                                                                                            8/5

2019年6月

  

 目まぐるしい変化というのは、果たして進歩なのでしょうか。むしろ、確実なものを見出せず右往左往している危い状態のことかもしれません。

 そこで、私はしばらくはクラシックなスタイルに回帰しようと思いますので、お問い合わせなどはできればTELかFAX、あるいはお手紙がうれしいです。声のすばらしさ、手書き文字の楽しさはかけがえのないものです。とりあえず、利便性は度外視というのもまた一興ではないでしょうか。

 

                                      6/10   

2019年5月

 5月に入ったと同時に我が家の奇跡のバラが咲き始め、今6輪が風にそよいでいます。スタジオへもバラの花が咲き誇る小道を選び、話しかけながら行くものですから、少々家を早めに出る必要があります。

 思えば昨年の5月の記憶が私にはありません。というのも、4月から古代史の執筆に入ったからです。構想としては10年ですが、我を忘れて原稿用紙に向かってから約1年後の5月17日にようやく「火焔の王」として出版されました。渾身の力をふり絞っての古代史ですが、一般のそれをはるかに超える内容となってしまいました。愕然とした事象に茫然となることもしばしばでしたが、なぜ、なぜと問い続けた結果の真実ですから、よしとすべきだと考えております。

 

                                                             5/23

 

 

 

 

2018年1月1日

 

新年を迎え さらに気持ちを引き締め

凛とした態度で事に臨みたいと思っています。

2017年ー日々の想いー

 黙っていた方がいいか・・・

  良いお年を!

                                                 12 /30 

 

 春も盛りを過ぎようとしている日々、寒風に耐え続けた庭のハナミズキはこれ以上ないほど白い花をつけ、また、息も絶え絶えだったナデシコも無数の花をつけ咲き誇っている。信じられない生命力で不死鳥のようによみがえる彼らの姿に今更ながら感動する今日この頃である。

                                             4/29

2016年ー日々の想いー

 初雪の中

今年もまた奇跡のバラの娘が

一輪美しく咲き続けています。

本当に可憐な花。

その健気な姿に

感動、多々

                                    11/24

ー2016年ー日々の想いー

 昨夜みた夢

亡霊がいつのまにか復活して

笑っていた

醜悪なものは、己の

醜悪さに気づかない

そのあわれさに、la nausée,

再び。

                                                   7/11

 

ー2015年ー日々の思いー

 奇跡のバラ一輪

 ピンク色のきれいな花を次々と咲かせていた鉢植えのミニバラが昨夏、突然うどん粉病に罹ってしまいました。息も絶え絶えのバラの葉や茎についた白い粉を家人が懸命にこすり落とし、薬剤を塗り栄養剤を与え看病したところ、11月になってたった一輪ですが見事な大輪の花を咲かせ、雪や寒風にもめげず3月まで咲き続けてくれています。さすがに3月に入ってからはピンク色も少々あせてきてはいますが、5か月も咲き続けているなんて、信じられない奇跡ではないでしょうか。家人の思いに応えるかのような花のがんばりには本当に感動させられます。そして、毎日、ありがとう凄いね、と語りかけています。

                                              3/26

 

  晩秋の庭もまた花盛り。

 昨年の秋から今年の4月初めまでの5か月間たった一輪寒風に耐えて咲き続けた奇跡のバラが、4月の半ばついに力尽きて花びらを落としてから半年、再び無数のつぼみをつけ小さいながら今や盛りと咲き誇っています。その下には、真っ赤な小花が数え切れないほどの勢いで咲き続けています。花の名前は思い出せないけれど、家人が水を与え続けた結果です。

 また、ハナミズキが実にセンスのよい色具合で紅葉し、その葉が風になびく様はまるで楽しい音楽を見るような風情でもあります。もちろんレモンの木は今年も多くの実をつけ黄色に色づいています。自然は豊かで力強い。人間事象のうとましさなど一瞬でかき消してしまうほどです。

                                             11/25

 

 

 

                                                                                                                                                                              

ー2014年ー日々の思いー

 新春を言祝ぐ間もなく、新年の開幕といった感じで、とにかく慌ただしく時が過ぎて行きます。しかし、そんな中でも充実した時の流れを日々感じています。得難い瞬間であると思っています。今年は5月11日にセシオン杉並で研究生の研究公演もありますのでまた何かと忙しさが増すと思われます。

 思えば、今まで私は直観を頼りに生きてきたような気がしますが、まったく悔いはありません。今後もますます琢磨し、さらに直観鋭くずんずん突き進んで行こうと思っています。

 

                                                   2014年元旦

2013年ー日々の思いー

 先日、某テレビ局から高円寺を紹介する企画で最後にフラメンコを体験するという構成で協力してもらえないかというお話がありましたが、月曜日はレッスンがお休みなのでお断りしました。他に紹介したいところはありますかと聞かれたのでありませんと答えました。

 そのこととは別に、以前より教室の無料掲載をしないかとか、SEO対策とか頻繁に電話がありますが私自身はあまり興味もなく何のことやらよくわからないのでそのようなことについては担当者に任せていますが、その担当者も「アイホン?」片手に歩き回るタイプではないので最近ではわからないことが多いようです。しかし、私はそれで構わないと思っています。末梢的なことは飽くまで末梢的なこと、根本的なことは何も変わっていません。メディアの術に振り回されているよりもっと肝心なことに心血を注ぐべきではないでしょうか。

                                                       2013  7/3

                                                 

2013年ー日々の思いー

2013年 迎春

 新年あけましておめでとうございます。

  Feliz  Año  Nuevo

 Je vous souhaite une bonne année

                                                         Lucia Hashimoto

 


 

2010年ー2011年ー2012年 ー日々の思いー

 


 今、古代のパノラマが見えています


 ここまで来るのにどのくらいの時間を費やしたのだろう。しかし、このような時を味わえることに感謝しています。残念ながら、その間にグレ猫さん(ライトグレーの毛並の猫)が「幸せの国」に旅立ちました。

                                                2012 6/29

 


 久しぶりに香港A型にご対面


 15年ぶりにインフルエンザにかかりました。香港A型、ほんとうにしつこい風邪です。今は完全に回復しましたが、少々無理をしたのがたたったのだと思います。皆さんも頑張り過ぎず体をいたわってやってください。とにかく油断は禁物です。

                                                 2012 2/20

 


 マイライフスタイル


  毎日寝るのは朝方の7,8時頃です。いつも原稿用紙に向かって小鳥の声を聞く、何か物書きのような生活ですが、踊らないと体が軋み出します。そして、踊り始めると何とも心地よい、食事の時間も忘れついつい何時間も踊ってしまいます。そんな私の生活を知ってか知らずか、ありがたくも中高年の研究生からの差し入れが多いのです。ふと、「お布施」で生きているような気さえしてくる今日この頃です。

                                               2012 1/9


 「なでしこジャパン」優勝おめでとう!


  身もこころも一体となったプレーに時を忘れました。勝利の女神は、あなた方を選び微笑んだのです。

勝利の女神が「微笑む瞬間」とはどういうことかを忘れずにさらにたくましく生きてください。

 P.S.  商業主義にご用心。

                                               2011.   7.19


苛酷な現実


 200年後の世界の風景が見える。荒涼とした大地に点在するおびただしい石棺の群れ。石棺はひび割れ、漏れ出たセシウムやプルトニュウムまじりの風がむなしく吹きわたる。原子炉の墓場の光景である。

 いまだ制御するすべも見出せない幼稚な科学のレベルであるにもかかわらず、おごりたかぶり、目先の欲にまかせて暴走したおぞましい人々の行為の結末だ。

 原子の火は、宇宙の始原と生成,消滅のレベルの火である。人間の欲ごときで安易に弄んではならない。いわば神の火とでもいうべきものに後先も考えず手を出してしまった。悲劇はここから始まった。

 思えば、チェルノブイリ原発事故がその序章であったのだ。その反省もないままに、今回の福島原発事故が第1章のページを開いた。

 確実に、世界と文明は死への歩みを始めている。

 かつて、地上の生命体は猛毒ともいうべき酸素を逆に取り込み、生きる活路を見出した。そのように、猛毒というべき放射性物質を逆に取り込み生きる革命的な生命体へと進化を遂げでもしない限り、私たちの未来はないように思える。

 だが、ああ、何百万年かかるだろうか。

 苛酷な現実。

 しかし、私は、それを見すえながら、覚悟を決めて、それでも今を力強く生きたいと思う。人間として、今為すべきことに最善をつくし、一瞬一瞬をきらめかせながら、やがて生命が終わるとき、よく生きたと言えるように。

 

                                            2011.   5.14


じぃじねこさんー


 久しぶりにじぃじねこさんに会いました。オープン・ガレージの車の下で身を丸くしていました。じぃじもまたノラさんのようですが、ある家族にやさしく見守られています。出会って1年。以前住んでいたあたりで見かけた人なつこいねこにそっくりなので、とくに気にかかるねこ友達の一人となりました。この1年で、彼はずい分老いた感じです。年をとったねこは顔がビショビショになりますが、彼もそうです。人間の1年はねこにとっては4年ほどになるといいます。彼に残された時間はもうあまりないように見受けられます。せつない。それでも、大きな声を張り上げてニャオニャオと呼びかけてくるのが、うれしくもあり、また余計にせつなく感じられます。残された時間ができるだけ幸せにあふれていますように、と祈らずにはいられません。

 

                                               2011    1/16 


ー太古の時を彷徨うー


 現在、古代史を執筆中で、太古の時を彷徨っていますのでなかなか日々の思いを綴る時間がありません。

 

                                              2010 12/12


 ーグレねこさんー


 グレは背中から後頭部にかけて明るいグレーの毛並みが美しいネコさんです。

 いつも、ある家のオープン・ガレージで昼寝をしています。また、ほとんどいつも誰かに頭をなでられています。ゆったりとくつろぎ、人にうちとけている姿から、その家の飼いネコだとばかり思っていました。ところが、実はノラさんなのだということです。ボウルに水を入れてやさしく世話をしているある母娘がそう話してくれました。

 ネコさん、ネコさん、と呼びかけるのが私の流儀ですが、グレは今では、私の姿をみとめると大きな声でニャオ、ニャオ呼びかけながら私の方に近づいてきます。チーズが大好きなグレに会うため、いつもバッグにしのばせているのですが、つい忘れて家を出てしまったことがありました。待ってて、取ってくるから、と言って大慌てで引き返してくると、グレはネコではありえないような大声で、私を呼び続けていました。その心の開き様が尋常ではないのです。今まで一度も人に嫌なことをされたことがないのでしょう。あるいは、神か天使が宿っているのかも知れません。

 幸せなノラさん!

 しかし、今夏、グレはめっきり老いた風情です。残された命はもうあまりないように思えます。だから、なおさら愛しく感じられるのでしょう。

グレ、お友達、明日も会おうね。

 

                                                   2010  12/11


ーついに終わった!ー


 先週の日曜日、7月25日に私の著作「フラメンコ、この愛しきこころーフラメンコの精髄」の講読を終了しました。開始は2005年の春ですから足かけ5年にわたる長いシリーズとなりました。当初は1,2年で終えようと思っていたのですが、暖かい季節だけの月1回のペースの上に、忙しくて行えない年もあったためです。

 今の段階での丁寧な解説は、ある程度できたと思っています。また私の予想を越える数の研究生が最後までついてきてくれたのも嬉しい限りです。バイレにも熱心に取り組み、着実に力をつけてきている彼らは、やはり、より踏み込んだフラメンコへのアプローチをするものなのですね。本質、つまり根底からそれを知り、捉えたいという欲求が芽生え、それにつき動かされているとでもいうようなことです。

 スペインのことわざに、Saber es amor、つまり、知るということは愛すること、というものがあります。何かを好きになったら、もっと、いやとことん知りたくなる。恋愛のことを考えてみるとよくわかりますね。好きになった人のことはもっと知りたくなる。それと同じです。

 最後は、第5章の終り近くに出てくるアフリカのグウィ族が行う不思議な会話の仕方を実演してみました。言葉の意味ではなく、音の肌触りで心を伝えるやり方の一つです。数人が同時に、今他者に伝えたいと思っていることを各自が一気にしゃべりまくるというやり方です。スタジオ中が不協和音の大洪水のようになりました。私達があたりまえと思っている会話、言葉のキャッチボールの方法とはあまりにかけ離れているので、はじめはとまどっていたみんなも、その何とも言えない面白さに、全員大笑いとなりながら、講読会を終了したのです。笑い声はさらにその後の打ち上げパーティーまで続きました。高円寺界隈では一番と噂のお寿司をいただきながら、そして、なぜか、古の飛鳥、天平の食べ物、サメの肉、醍醐、フランスのパリ界隈の話、アルプス登山と落雷、また、ワールド・サッカーの優勝者スペインのクールなゴールキーパーの話など、脈絡もなく飛び交う会話と笑いの後に元気にパルマでのシメとなりました。

 この講読シリーズの途中で急に天に召されてしまった高野香子さんが私の傍らで本当に嬉しそうに笑う姿も、私にははっきりと見えました。

 

                                              2010  8/1     


 ーテアトロでビデオ撮影ー


 

 6月10,11,12,13日  6月10日から13日までテアトロでビデオ撮影に入ります。内容的にも、

映像的にも思いっきり刺激的で実験的なものになるはずです。

 ベースは、二つの私の心象風景。私には幼いころから少しずつ形作ってきて、いつの間にか

私の下意識の基盤になっている原風景とでもいうものが二つあります。

 それは、現実の光景に重なって、遠景となったり近景となったりしながら、いつも私の眼に

あるいは脳裏に浮かぶものです。一つは右前方に他方は左前方に、時にはくっきりと、時には幻

のようにおぼろげに観えるものです。それが今回のバイレのテーマです。具体的にどのようなもの

かは・・・出来上がったビデオが明らかにします。

 

                                                                           2010 6/4 (金)


   ー猫の友だちー


 ミーミ、グレ、ジージ

ネコさん、ネコさん、と呼びかけると返事をする。

それどころか、ミーミとグレは私の姿をみとめると、彼らの方からニーニャと呼びかけ鳴きながら、

私の方へ歩み寄って来る。

 4月の終わり頃のある真夜中には、ミーミは私の家までついて来た。「困ったらうちにおいで飼ってあげ

る」と呼びかけた日の夜のことだった。有頂天の私に、「覚悟しなければ・・・」という家人。一瞬ためらっ

た。鳴いて呼ぶミーミにチーズを玄関先であげた。しばらくするとミーミは去って行った。

 わずかな間で、ミーミは私の迷いを察知したのだ。

今は、真夜中の神社の境内で私を待つようになった。足音でわかるようだ。

ミーミの好物はハム。チーズはあまり関心を示さない。以前の飼い主だった老女は、時々ミーミにハムをあ

げていたのだろうか。彼女に突然死なれて、一人ぼっちの野良猫になってしまった境涯をミーミはどうやって

耐え、しのいでいるいるのか、そのことを考えるたびに涙がこぼれる。

幸い、老女と親しかった女性が一人、毎日ミーミにドライフードをあげている。

その女性の話では、神社の境内を掃除する小さいおばあさんがミーミをほうきでぶつそうだ。

神社の庭で、猫のくつろぐ姿は趣のある優しい風景なのに。

でも、真夜中には、ぶつ人もいない。

ミーミは今夜も、灯ろうの明かりの中で私を待っている。

 

                                                                         2010  5・16       晴

 

 


ー2010年 立夏ー


 最近、神社から出てくる猫とお友達になりました。

名前はミーミと言います。少し前、飼い主だったおばあちゃんが亡くなったそうです。

 

                                                                                 2010年 立夏

 


  

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