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2019年11月

〇ことは簡単です。私たちはたんなるヒトではない。人間です。人間を人間たらしめているものは、自らの存在を問い、探求し続ける自由な精神であり、マルクス・ガブリエルは、それを意味にたいする感覚・感性としていますが、その人間の精神という実に豊かな心のスペクトルが、歴史を経てついに見出した「人間としての良識」こそ、人間の生きる実践的規範でありましょう。

 いわゆる常識は、時とともに変わりゆく一時の固定観念にすぎないものですから、そうした常識の呪縛から自らを解き放ち、そして良識こそが、時代を超えた普遍的な実践の原理であると見定めるならば、その時はじめて、私たちの生き方はいとも簡単に決まります。良識を保ち、ただそれに従って、自由に存分に生きればよいだけのことですから。

 「盗むなかれ、殺すなかれ、偽証するなかれ」という旧約のモーセへの戒も、「行け、彼の智慧の岸へ(ガテー、ガテー、パーラガテ―)」と説く般若の言も、実は同じ本質の異なる表現に他ならないことは明らかでしょう。

 

                                          2019  11/24

 

〇小学2年生の頃だったと思います。教師が黒板に地図を貼り、ある地点を指して、方位を答えるように言った時、私はひどく困惑しました。もし、軸が、黒板の外や天井に置かれるならば、北や南と答えることはできませんから、先生は何を言っているのだろうかといぶかってしまったのです。また、三角形の内角の和が180度と教えられた時も、デコボコの石や波打っている紙に書かれた三角形の場合は、違うのではないかと思い、さらに詩のワンフレーズの解釈も百万通りの答えがあるのでは・・・と疑いました。極めつけは、、小1の頃、牧場で真横から見た馬の脚が2本に見えたので、2本足の馬の絵を描いたら、笑われてしまったことです。見えた通りに描いて、なぜ笑われるのでしょう。それなら目と口が逆方向に描かれたピカソの絵はなぜ笑われないのでしょうか。

 このように、小さい頃から先生や教科書が教えることに疑問を持つことが多かった私は、学校は好きだけれど、わけのわからないところだと悩み困った末に、「そうだ、ゲームと同じで、ルールと考えればいいんだ。そのルールが正しいかどうかは大きくなってから確かめよう」と思いなすことにしたのです。

 また、子供にとって先生というのは、人生の助言者の面もありはしますが、優位に立つ権力者のような存在の面もありますから、無能、あるいは理不尽と思える優位者には従わないプライドと心構えを持つ子供であった私は、たまに「先生」に徹底抗戦することもありましたが、根本的には弱者に寄り添う気質ですから、「ゲーテの『神曲』だぞ」などとのたまう定年間際のジージ先生には、そっと微笑みながら「ダンテ」とノートに書きつける度量もあったことは付け加えておきたいと思います。

 「答えは百万通りある場合もある」。「採点する先生もただの先に生まれた人に過ぎないかもしれない」。記述式を大学入試共通テストに導入するかどうかが取沙汰されている時に、ふと思い出されたのが、幼い頃の私の、こうした素朴な疑念でした。

 因みに、私は、家庭教師をつけてもらったこともなく、塾や予備校には通ったこともありません。

 

                                        2019 11/14

 

〇久しぶりに胸が高鳴りました。といっても恋の話ではなく、ガブくん(マルクス・ガブリエル 哲学者)とシェリングのことです。

 ガブくんが、「新実在論」のインスピレーションを、シェリングの「人間的自由の本質」から得ていることを知り、私の学生時代の師の一人故渡邊二郎さん(当時、東大文学部哲学科助教授、哲学科、仏文などでは教授の方たちを「さん」づけで呼ぶ習慣がありました)の講義ノートを引っ張り出した私の目に飛び込んできたのは、Ungrundすなわち「無底」という和訳でした。二郎さんはあの当時から、本質を理解されていたのですね。

 教壇上を飛び回り、板書を叩きながら講義される熱血二郎さんの小柄なその姿は、哲学の面白さそのもののようでしたが、当時の私は美的汎神論好きが昂じて、シェリング研究に生涯を捧げるべく、本郷3丁目の福本書店に、シェリング全集全11巻(原書)を注文していた最中で、それもかなり高価でそれを手に入れるためにバイトで苦労した覚えがあります。しかし、「存在論」であったとは・・・・。

 生来、心が向くことにしか没入できない私は、やがて、友人たちを見事に裏切り、フラメンコの世界などに突入し、あれこれの異種の人生を歩むわけですが、どこに引っ越そうとも健気に私についてきたのが、大学時代の哲学講義ノートとシェリング全集などで、いまさらドイツ花文字など読めないかもという私の気持ちも知らずに、それらは今もなお私の書棚に花を添えております。

 

                                                       2019 11/9

 

〇古代の人々の心に寄り添わない歴史って本当につまらないですね。色彩も、音色も、匂いもない。

 14世紀のモンゴル人でさえ、「蒼(あお)き狼と蒼白き(あおじろき)雌鹿の子孫」という誇りを持ち続けていました。彼らの心の奥底にみえるのは、ユーラシア大陸を西から東へと移動する祖先シュメールのサカ・スキタイとの邂逅の旅の幻影であったでしょう。

 メルヘンが真実の歴史の言葉に置き換えられる時、ほの暗い2次元の世界から、色鮮やかな、シンフォニーにも似た心踊る音に充ちあふれた、芳しい香料やパンを焼き、米を炊く匂いの織り成す、だからこそ怨念にのたうち、鮮血飛び散る生身の人間の息遣いが聞こえる4次元世界の古代史が、ようやく立ち現れてくるのです。

 私達はシュメールの末裔、長い旅のはて、ユーラシア大陸の東端にたどりついた。宇木汲田(北九州)は「シュメール人」という意味のシュメール語です。シュメールやサカ・スキタイ、サルマタイ、マサゲタイなどが、あたかも西方史の主役のように考えられているのは、ただ単に彼らの東方への旅の解明がなされなかっただけのことです。問題は、ただ解明すればいいだけのことです。

 シュメール、マサゲタイ、サルマタイなどの東方への旅の詳細については、拙著「火焔の王」をお読みください。

                                                                                                 2019. 11/3