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2020年3月

〇 残念ながら私は、郷土史といった類のものには、あまり興味を引かれません。好き嫌いの次元の話ですから、その愛好家はいて当然で、それについて頓着はしないし、おおいに結構なことと思いますが、私は人間存在と人間の歴史や人間についての考え方の歴史が好きなせいか、無意識のうちにたぐり寄せられるように引き寄せられてしまうのは、決まって人間の生の姿がむき出しとなる、胸が締め付けられるような切迫した政治史、権力闘争史で、しかも資料がほとんどなく、あったとしても改ざん、隠蔽、メタファー等がほどこされた、つまり文字表記がおよそ信用できない「正史」の類しかない時代(古代)のそれで、さらにまだ民衆一般は存在せず、部衆や奴婢がいた時代のことですから、たまったものではありません。深い闇を抱え込んだ古代史の謎が、アリスを誘う不思議の国のように私の前に立ち現れ、私を幻惑するとでも言うべきでしょうか。

 「なぜ」と一言呟いた途端に、漆黒の闇の旅がいやおうなく始まってしまいます。封印された真実を白日の下に引きずり出すべく、手探りで闇に分け入り、また生い繁る虚偽の密林の草木をかき分けてはいずり回る、何とも呪わしく孤独な探求の旅。いわば裸足で、素手で地をはい回るような探求の旅とでもいうようなもの。

 その意味では、私の古代史研究は、資料豊富な中世以降の歴史学や、地をはう考古学や、靴を履いた文化人類学や民俗学などとはかなり異質な世界ではありますが、もちろんそれらの学の成果も、真であり有意義であれば躊躇なく参考とさせていただくのは、いつものことではあります。たとえ、民俗学者の某氏が遠野の農民を呼びつけ、一段高い位置で、その語る民話を聴取していた折に、農民が卑猥な話に入ると、「そんなものはよい」と高飛車に下がらせたというエピソードを知人から聞いた時の釈然としない感覚が、私の心の底に今なお残っているとはいえ。

 諸学は、実は真理を求める族の共闘という意義をもつものであって、決して、一つの学が他の学を攻撃、排撃するようなことがあってはならないと私は考えております。排撃などという狭量な心では、真理を求める道には踏み込めないはずです。排撃する時間があるのなら、そのすべてを自己の狙い定めた研究領域に投入する方がよい。人の一生は露の間なのですから。

 なお、ガブくん(M・ガブリエル)が自然科学を好みつつ嫌う(正確には、自然科学主義を嫌っているだけのことですが)のは、ホーキングが物理学の昨今のわずかな進歩をもって、哲学は無用のものとなったなどと浅薄な攻撃を仕掛けたのが一因と思われますが、ホーキングはそんなことを言うべきではなかった。彼は、若い哲学者を怒らせたという以前に、己の不見識を自己暴露してしまい、またそのことで、物理学者全般を貶めてしまったのです。哲理のない科学者の行きつく先は、マッドサイエンティストであることは自明といえましょう。歴史学者もまた然りです。

                                     

                                        2020  3/22