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2020年7月

〇  「お母さんに会いたい、お母さんに会いたい」と叫びながら、三輪車をこいで我が家の前を通り過ぎて行く、小さな男児を見かけたと、家人が私に告げたのは、あの強制自粛の最中のことでした。父親と思われる男性が、黙したまま、肩を落として、その子供の後を、とぼとぼと歩き去ったとも。父親には、母親の代わりは務まらないのだろうとつぶやく家人の顔には、名状しがたい表情が浮かんでいました。その子供の母親は、医療従事者か、あるいは、何らかの理由で地方に出かけた折に、突然自粛を強要され、東京に戻ることができなくなった方だったのでしょう。以来、その光景は、あたかも私の実体験であったかのように、幾度となく私の想念に現われ、そのつど胸がえぐられるような痛みとなって、私に襲いかかってくるようになりました。

 一方、熊本では、7月の大雨後の大洪水で、教科書がすべて流されたために、「勉強したいのに勉強することができない」と歎く、ある中学生の言葉が紹介されておりました。それは、「夏休みの短縮」などとは次元の異なる深刻な話です。

 名もない人々の、こうした痛ましいリアルな声が、すでに平穏な日常など過去のものとなり、享楽の時は過ぎ去ったのだと告げているかのようです。救うべきは、まずこうした子供たちや、一人では生きて行くことのできない人々でしょう。そのために何をなすべきか。「Go to」と命令形で、主権者である国民に告知する方たちには、主権者の一人である私は、命令形で返したいと思います。片隅でうめく、名もなき人々の生の声を聞け、そして、まず彼らを救えと。大洪水によって全滅させられた村や町の、旅館や商店、農業従事者等の家族のすべてが、まだ救われてはおりません。コロナ対策に真剣に取り組めば取り組むほど、窮地に追い込まれて行く医療従事者についても事態は同じでしょう。

 享楽文化の時代はすでに去ったのです。「赤毛のアン」の好敵手であるレイチェル・リンド夫人なら、こう皮肉ることでしょう、あの享楽の時代のことを。ー「今の人々ときたら、どこにでもほっつき歩く。まるでヨブ記の悪魔のようだよ」と。

 

                                         2020 7/23