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2021年7月

 益川敏英さん(ノーベル物理学賞受賞) のご冥福をお祈りします。

 予想通りの「大波」の到来ーこれが現在進行中のcovid19感染急拡大についての大方の感想と思われます。緊急事態宣言発令中にもかかわらずのメガイベント オリンピックの強行。そのテーマはいつの間にかすりかえられ、不祥事がこれでもかと、わらわらとまろび出て、まるで不条理劇の様相を呈しているのも周知の通りです。何よりも、医療関係者や研究者の方々の血相の変え方が、これまでとは異なる事態の緊迫性を十分物語っているといえるでしょう。

 しかし、驚かない。平時と同様に、遺書をしのばせつつ、やるべきことをやるだけです。

 対策として、人の動きを止めることが急務と叫ばれているのも、場当たり対応しかできていない現状では一理ありますが、同時に最悪の時こそ原点に立ち戻るのが原則というのも鉄則の一つでもありましょう。タイミングよく、昨年度のコロナ対策予算35兆7804億円が本年度に繰り越されたということですから、今こそ本気で、誰でもいつでもどこでも無料という形のPCR検査を基軸として、その上で、人々が不幸に陥ることのない保障対策に基づいた、人の動きの一時停止を徹底的に実現できる体制をさっさと構築、実践していただきたいものです。

 さて、人の動き、人出、人流について、人出には「仁」の香りがし、人流には人非人の匂いがすると私は先日、記しました。それは私の歴史認識や、感性による本質的な把握として、今も譲るつもりはありませんが、その後、問題は別の意外なところにもあると気付きました。きっかけは、ある朝のTV。小池さん1回、菅さんが2回、「人流」と言われたので然もありなんと思いつつも、チャンネルチェンジ。するとあるコメンテーターが10秒間に3度「人流!」を連呼。シュールだ。思わず大笑いしてしまいました。彼がヘイトに叩かれているというので、ひそかに応援していたのですが・・・虚しかった! 心がスッと離れた後に、「人流」のもう一つの本質をはっきりと悟りました。「人流」というのは、「楽屋裏」や「研究所内」などでのみ通用する、無機質で、数量化された簡便な、血の通ってない言葉、いわば記号のようなものだということに。だから、「人流」を何回叫んでも、若い人の心に響かず、かすりもしない。瑞々しい感性の若い人を根底から揺るがせ、行動にいざなうのは、ただ血の通った言葉だけです。

 

                                  2021年7月31日