Top » 2022年6月

2022年6月

 ムッシュ・ユーモレスクと禅師アナンフェール

 「犬君(いぬき)が雀を逃しつる」、源氏物語若紫をここまで読まれた古文の教師 ムッシュ・ユーモレスクは、ふっと間を置いたのち、「語弊があるかもしれませんが」と切り出されました。このフレーズは、ムッシュが本論から脱線する合図のようなもので、教室には、顔を上げた生徒たちの好奇心の気のようなものが、ビシッ、バシッと乱れ走りました。脱線話しだー今日は何かな。息をつめてムッシュの口元を見つめる生徒たち。でも申し分けないが私には、ムッシュが何を話されるか直観的にわかってしまっていたので、間髪を入れず、アハッと笑い声をあげると、「しまった、知られてしまったか」という風な照れた表情を浮かべながらも、「もうたまらん」といわんばかりに、ムッシュも「アハッ」と笑い出し、やがておもむろに「犬、雀、鶴がポイント・・・ではありません」とやられたので、皆もおくればせながらドッと湧き、教室中が笑いに包まれることとなりました。どうしていつもムッシュと私は、笑いをハモルのか。おそらく、同じ感性の持ち主だからなのだろう、と思いなすことで、私はこの件に決着をつけることにしました。

 ムッシュの頬には大きな火傷の痕跡があり、広島の原爆によるケロイドだとの噂がもっぱらでした。あるいは、そうだったかもしれませんが、それを気にされるそぶりもなく、少しはにかんだような優しい笑顔で、脱線を繰り返されるムッシュの風情とふるまいから、本当に古典がお好きなんだなということがうかがえて、私は15の春に心に決めた教師無視の「初心」を忘れ、ただの生徒となっていました。

 ムッシュとは正反対の禅師アナンフェールも、忘れ難いお一人で、必須科目の芸術の中の書道の教師でしたが、こちらは雷のような怒声を発するため、皆に怖がられておりました。

 書道といっても奔放な前衛書道でしたから、そのせいか、私の字は大丈夫かと疑われるほどの悪筆となってしまったのも、お笑い草です。沸点が低く、怒り狂う姿に恐れをなす生徒も多かった中、そんなことにひるむ私ではありませんから、「一(いち)を書け」といわれれば、空を斬るような短く鋭い「一」を要求されているのだとわかっていても、あえてチョークを横倒しにして、黒板の左から右にギーッと太い「一」を書いてみせたり、反逆の限りを尽くしましたが、不思議なことに禅師は怒声を発することなど一度もありませんでした。それどころか、面壁の禅のやり方を教えて下さったり、崑崙山や胡蝶の夢の話なども面白そうに、お話になったり、警句と戯れたりと、厭きることのない時間を共に過ごさせていただきました。そんな中、禅師は私の目をじっとみながら「先輩敬うべし」といわれた時には、敬えない先輩でもかと、一瞬ムカッときましたが、一呼吸置いたあとに「されど後生畏るべし」と加えられたので、割り合い信頼できる教師だと理解できました。

 しかし、今でもわからないのは、あの一言です。「君は何をやっても成功するだろう。だが一つだけ心配なことがある。男だ。男だけには気をつけえよ(方言)」・・・えーっ。先生、私は、まだギルバート・ブライスに夢中の高校生ですよ。そんなこといっていいんですか。少しとまどいはしましたが、意外にありきたりな占い師か預言者のような言葉は、帰途の右手を流れる旭川の豊かな水に流して家路につきました。私は、「結婚などしなくてよい。精一杯好きに生きろ」と言い続けた父の言葉の方が好みでしたから。それでも、世俗に生きる禅師の、私に対する精一杯の思いやりの善意の一言だったことは確かですから、感謝はしております。

 先日、岡山の高校の同級生の一人から、当時をなつかしむ長い電話をもらいました。テニスラケットを胸にかかえた制服姿の彼女を思い出しながら、話すうちに忘れ難い教師の方々についても、一言記しておきたい気持ちになって、筆をとりました。ところで、「男は」?・・・カラスの勝手でしょ。

                     2022 6/30