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2022年7月

 「罰が当たるぞ」。捨て台詞を残して、男は門を叩き壊すかのような荒々しさで我が家から立ち去りました。その男はあるカルトの信者で、どうしても入信しないと突っぱねた我が家に対する幼稚な腹いせの振舞でした。私がまだ子供のころのことです。

 当時の我が家は、カルトに狙われやすい様相を呈していました。アクシデントで両足を骨折した私の弟は、治療にあたった某高名な外科医によって、さらに両足首のアキレス腱を切断されるという不幸にみまわれてしまったのでした。「切断した方がよく歩けるようになるんですよ」、医師は両親にこう言ったそうです。当然、弟の足は再起不能となり、その後、父は仕事の都合で東京暮らしとなってしまいましたから、我が家は、足の不自由な男児と女子供だけの、入り込みやすい家庭と侮られたのでしょう。母は悔し涙を流していました。

 そんなことも忘れ去ったある日、中野の唯一の繁華街を所用で通り過ぎようとしていた私に、神についてのアンケートと称して、若い女がしつこく付きまとってきたことがありました。それが、十数年前に世間を騒がせた某カルトの信者だということは明らかでした。健脚で、風のように歩く私に、いつまでも追いすがってくるので、ここらで勝負だと腹を決めた私は、突然立ち止まり、くるりと向き直って、彼女の目を見据え、「私が神です」と言い放ちました。えっと絶句、混乱状態の彼女が呆然と立ちすくんでいるのを尻目に、何事もなかったかのようにリズミカルにその場を立ち去りました。あいにく、神の存在の問題については、私は中1の時に決着をつけていました。神は、あると思う者にとっては存在し、いないと思う者にとっては存在しない、そうした存在であり、要するに、好み、嗜好の問題に過ぎないのだと。この考えが閃いたときはうれしくて、くるりと回って、その拍子にこけて倒れ込んでしまいましたが、その姿があまりにおかしくてアハハと笑ってしまったのを鮮明に憶えています。

 「鰯の頭も信心から」ーこれはおそらく、魚神ズーンを崇拝するエフタルの風習と推察されますが、全知全能の神と未熟な自分との差異を自覚し、少しでも克服し近づこうとする、つまり、大いなるものに対する謙虚さと誠実さを失わず、自分をも豊かに生かしつつ、他者の存在も傷つけることなく大切に生かすということであれば、宗教の存在意義もあるかと思われます、しかし、カルトは嫌いです。

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