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2023年7月

 海洋生物学者のレイチェル・カーソンさんが「沈黙の春ー生と死の妙薬」を上梓されたのは1962年。それから約60余年経った今、この星、地球上に聞こえるのは、大きく数を減らした動植物たちのかすかな悲鳴であり、見えるのは、すでに声も上げられず身体中に火傷を負いながら山火事の中を逃げ惑うコアラに象徴されるような、ただ生きるということさえ難しくなった絶望的な姿だといってももはや過言ではないでしょう。私たちの青い星は、煉獄、あるいはもうすでに火焔地獄に一歩踏み込んでしまったのかもしれません。

 自然科学者でも何でもない、ただの人である私にも、実感としてのその予兆は20数年前から醜悪で露骨な様相をもって示されていました。あの美しい薔薇の咲き誇る5月もなければ、真夜中の闇い部屋に窓辺からこうこうと差し込んでくる秋の月の輝きもない。間の抜けた、「例年以上」、「何十年に一度」等の常套的な形容詞で繰り返される異様な反季節的な「夏」と「冬」。あの味わい深い四季は何処に消えたのか。

 変だな、今年だけかという思いは裏切られ続けて、今に至ってしまった。

 その間、「沈黙の春」の作者は少数の理解者を除いて、多くの批判を浴び続けてきましたが、真実を語る者とは残念ながらおおよそそいうものだということは古代ギリシャの時代から変わるものではありません。真実は大体の場合、苦く、そう言わざるをえないほど、人間はさほど聡明でもなく、逆に聡明な人を無自覚な愚者が愚者であるゆえに馬鹿にする、そうした不完全な存在である上に、良心や文化の領域は、「経済」、といっても、珍奇なマネー、資本への飽くことのない欲望に一元化された「経済」によって抹消される時代に入って久しいわけですから。

 しかし、人はやはり、パンのみにて生きるのではなく、マネーだけによって幸せになるのでもないことは、少し周りを見渡せば、容易に理解されることでしょう。マネー、資本に埋もれて、虫も鳥も木も花も、そして、人っ子一人いない炎熱地獄を一人、あるいは数人で生き延びたとしても、その先に何があるというのか。

真実は必ずしも、いつかは現れるというわけではありませんが、現実の私たちの生きる土台ー生活環境が苛烈な事態に立ち至ったことによってようやく、レイチェル・カーソンさんの主張の正当性の一端が自ずと明らかになったということは、無自覚のツケとして絶望的に皮肉なことといえるかもしれません。

 

                       2023 7/31