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2021年6月

 紫陽花に降る雨。

 たった一輪だけ、毎年、冬の間中咲き続けてくれていた奇跡の薔薇の話は既述の通りですが、このけなげな薔薇娘「ロゼ」は、2018年には二輪となり、まるで母子のような姿で冬を越し、2019年5月に、突然、無数のピンクの花をつけて家人を喜ばせた後に、ついに静かに息をひきとりました。あたかも情けという心を持った人の娘のようなその存在と生命力に、家人や私はどれほど力づけられたかしれません。

 もしかすると、「ロゼ」は次の冬に、コロナの厄災がふりかかってくることを知っていたのかもしれないと、今ふと思ったりもしています。「彼女」は、自然や宇宙の摂理も知らない私達人間とは違い、摂理のままに生きて死ぬ、より優れた生命体(=生物)だったのですから。

 驚きと戸惑いの2020年が 過ぎ去った今年の5月に、いつもは少しにぎやか過ぎる桃色の花をつけていた紫陽花が、まるで「ロゼ」の子供であるかのような、何ともやさしいあさぼらけのピンク色の花に生まれ変わり、やがてブルーも加わり、いつの間にか紫の君となって、雨に濡れ咲き誇っています。何という不思議。それは、うどんこ病で息も絶え絶えだった命を救った家人に、「ロゼ」が死後に姿を変えて、愛を伝えてくれているようにも思われます。それとも、「ロゼ」と家人の一部始終を見続けた賢い紫陽花の愛の施しなのでしょうか。

 動物も植物も、問答無用の私達の友達。ーそう考えると、このジメジメした梅雨の季節も,有難く愛しいものに思われてきます。

 心あたたまる話といえば、最近、ある京大准教授の方によるオリンピック関連のコロナ感染者数に関するシミュレーションが紹介(TVニュース)された折に、政府・行政関係者の人々が用いる「人流」の代わりに、「人出」という言葉が遣われていて、ふあっとあたたかい空気が流れたような気分になりました。「人出」の向こうには「赤ひげ」が見え、「人流」の向こうには、医療も受けられず死ぬのも「ザッツザライフ」、さらには「丸太」(戦時中の人体実験後の死体の呼称)というような冷酷なイメージが浮かび上がります。だから私は「人流」という言葉が出た途端にゾッとするので、TVをオフにしています。

 言葉って、本当に恐ろしいものですね。

                                   2021 6.30