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「欠史八代は複雑怪奇」

  パソコンを持ちながら、1,2度使ったきりで、その後放置してしまいましたら、もう作動しなかったというような原始的な生活を送っている私は、たまに「コギト」を手書きしたものを知人に入力してもらうという、まるで「異邦人」のような存在なので、そのために、レビューなども知人らの指摘で知ることとなってしまうというのが実情です。

 そんな中、最近ようやく、少し前に書かれた「火焔の王」の「欠史八代は複雑怪奇」というレビューのことを知りました。ありがとうございます。

 倭国の欠史八代の時代は、ユーラシア大陸、中国では、西晋が弱体化したのを好機として、四方八方からそれまでは帰属していたり、距離を取っていた多数の異族遊牧民が侵入し、簒奪と建国を繰り返した五胡(匈奴、鮮卑、羯、羌、氐)十六国時代という、史上最も煩雑な時代ーということは、国家の障壁もあってなきがごとしの、いわば自由な覇者の天下に対応する時代でした。海の孤島のようにみえる倭は、しかしながら、江南(中国南部)の武将にとっては、千年以上前から、「力一杯戦って破れたら、海島に逃れればよい」という通念の対象の地であり、また北方の中国東北部沿海州あたりから船に乗れば、リマン海流などによって、早ければ2ー3時間、長くて半日位で日本列島の日本海沿岸に漂着できるということですから、古来訳ありの諸族が亡命、侵入するのに最適な救済、功徳の島であったのは間違いありません。

 さらに、庶民、奴隷は別として、王族(貴族)の場合は、平穏な場合でも、一人(男性)で本名の諱(いみな)、成人して付けられる字(あざな)、自称、他称の号、死後つけられる諡(おくりな)の4つ以上の名を持ち、また養太子、養子になった場合は、本姓の他に公姓を持つ例も多かった(例 高句麗第三代大武神王、第13代新羅未鄒王など)時代の話です。例えば、景行は王子名として4つ、王名として2つ(2国の王になったのは明らか)もっていたことが知られますし、欠史八代中の孝昭(わずか在位8か月)も、高句麗本紀では在位270ー292年とされてはいますが、王として高句麗にいることができたのは、わずか6年で、それ以後、新羅、倭国に亡命しながら復活を企むものの失敗、失意のうちに倭国大和で果てたとみられる第13代西川王であることが証明できますから、その転戦のつど、名を変えたのも当然と推察されます。

 そもそも、生まれて死ぬまで、名前が一つという現代こそ、異常のようにも思われます。

詳細については、次作か次々作にて。

                          2024 5/1