橋本ルシア フラメンコ舞踊研究所 舞踊団代表
東京大学文学部哲学科卒業。来日中のメルチェ・エスメラルダ、ローリー・フローレス、ラ・トレアに師事しながら新宿ACホールにて3年間レギュラー出演。その空間で様々な実験的創作フラメンコ舞踊公演を行い、1983年連続公演終了後スペイン留学、スペインではマノレーテ、エルグィード、シロー、ロシオなどに師事。
スペイン留学中マノレーテから、スペイン巡回公演に誘われるが滞在期間の調整できず帰国。1989年来日したマノレーテとリサイタルを行う。その後ホセ・ルイス・ポンセとリサイタルを行い、単独のリサイタルでは「赤と緑の幻想」「アルバセーテの匕首」などを上演。
2004年9月「フラメンコ、この愛しきこころ-フラメンコの精髄-」を上梓。
2007年8月「フラメンコ読本」(晶文社」)の中で「バイレとは何か」を執筆。
<近々、古代史の書籍を上梓。現在、古代史を執筆しながら、日々の稽古と後進指導に
明け暮れている。一日が短過ぎる。>
フラメンコ舞踊家(スタジオ エルアイレ主宰)、古代史研究者。
<所属関連団体> 社団法人 現代舞踊協会
| 1979/6- 1980/11 | 新宿ACホール 企画・構成レギュラー出演(68回) |
|---|---|
| 1981/11 | "芸人たちの午後"舞踏、マイムとのジョイント公演 |
1980/11-1983/3 | 新宿NCホール 企画・構成レギュラー出演(112回) |
| 1981/2 | 青山タワーホール ラテンとのジョイント公演 出演 |
| 1981/4 | 第1回 春のフェリアin新宿 企画・構成・演出・出演 |
| 1981/10 | 第1回 秋のフェリアin新宿 企画・構成・演出・出演 |
| 1982/4 | 第2回 春のフェリアin新宿 企画・構成・演出・出演 |
| 1982/5 | "芸人たちの午後" Part2 ジョイント公演 |
| 1982/10 | 第2回 秋のフェリアin新宿 企画・構成・演出・出演 |
1982/3- 1982/10 | <橋本ルシア 創作フラメンコ 連続8回公演> |
| 1984/4/12 | 橋本ルシア フラメンコ リサイタル |
| 1987/10/26 | 橋本ルシア フラメンコ リサイタル「赤と緑の幻想」 |
| 1988/8/5 | 博品館劇場選抜 スペイン舞踊フェスティバル出演 |
| 1989/10/7-9 | 橋本ルシア フラメンコ リサイタル「青の幻想」 マレノーテ |
| 1991/10/18 | 橋本ルシア フラメンコ リサイタル「アルバセーテの匕首」 |
| 1992/10/26 | 橋本ルシア フラメンコ リサイタル「アイ・アモール」 ホセ・ルイス・ポンセ その他の公演、ライブ、タブラオ出演総数は数え切れない。 |
| 1993-2002 | 各地ライブ出演、公演出演、自らのスタジオライブの構成・監修・レクチュアーなどをする一方でフラメンコ舞踊研究所では、後進の指導に専念 |
| 2003/12/7 | 橋本ルシア フラメンコリサイタル 「エータ・カリーナ」 ーフラメンコのアルケーを求めてー |
| 2006/3/12 | 橋本ルシア テアトロライブ2006 「ヘレスの友と」 ホアン・オガジャ、アルフレッド・ラゴス、ダヴィ・ラゴス 他 |
| 2007年1-2月 | スペイン滞在(仕事) |
| 2007年3月 | 再渡西(仕事) |
| 2007年7月 | 「フラメンコ読本」(晶文社)フラメンコ、特にバイレについて執筆中の一部が対談形式で収録。 |
| 2007年7月 | 駿河台大学文化研究所主催の橋本ルシアの講演「フラメンコを生きる」が 駿河台大学発行の書籍に収録。(2006年12月6日に行われた駿河台大学での講演会は市民の方々、学生で大教室はいっぱいとなり、面白い質疑応答などもあり大盛況のうちに終了しました。終了後も市民の方々から熱いメッセージをいただきました。) |
2007/11/23 | -全労済ホール/スペース・ゼロ提携公演- 橋本ルシア テアトロライブ2007 「風が見える時」Cuando he visto el viento ホアン ・オガジャ、アルフレッド・ラゴス、ダビ・ラゴス、 メルチョーラ・オルテガ、アギラール・デ・へレス 2003年より始まったテアトロライブ3部作を完成させる。 |
| 2008年3月 | スペイン滞在 |
| 2008年4月 | 富山市にて講演 「フラメンコを生きる」 主催 富山新聞 婦人懇話会 |
2009年2-3 | スペイン滞在 |
| 2010/6/7-13 | 非公開舞台の1週間に渡る舞台撮影。「月華独舞」 |
※ 2009年のジェルバブエナの踊り方が2007年の「Cuando he visto el viento」で私が踊った踊り方と同じであったのには驚かされた。内面的質の相違はあるにせよ、それは不思議な感じでもあり、喜ばしくもあった。2007年の私の踊りは完全に私の創造的振付であったので。もちろん、フラメンコ プーロである。
※そして、あらためてマリオ・マジャを讃える。彼の作品はその大きさと深みにおいて他の追随を許さぬと同時に今なお新鮮である。(彼は私の師でもある) さらに、「食べるのは大変だけど、喜びがある」と言いながら魂を揺さぶる歌を歌い、踊り、奏でる人々に対しては敬意を表する。

